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January 31, 2008

ノースに、プカシェールを採りに行ってみよう!!

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 冒頭の写真はプカ・シェールが出来上がるまでの過程が良く分るように、
穴が開く前の物から、穴が開いた物へと並べてみた。
どれもノースで取ってきたもの。
プカ・シェールは巻貝の一種で、
巻貝の頭の尖がった部分が波や砂に洗われ削りとられて、
穴が開いたものだ。

 今から30年ほど前、このプカ・シェール・ネックレスが大ブームを呼んだ。
週末のノースには、砂を濾すネットのようなものを持ったローカルが、
ノースの海岸沿いにずらっと並んでこのプカ・シェールを採取していたっけ、、。
中には商売にしていた者もいただろうから、
多分ウィークデーズでもノースはそんな人たちで賑わっていたに違いない。
仲間のシンガー「ラド・ヨン」は当時、「プカ・シェール」って言う題の歌を歌ってヒットした。
もちろんこのハワイでね!

 このところ何回かノースに行ってるけど、
プカ・シェールを採取してる連中なんてない。
だってそのブームはそれこそ昔の事だからね、、、。
しかし未だにに本物のプカ・シェーは高価なものだと聞いている。
特に粒の揃ったプカ・シェール・ネックレスは、1000ドル近くするそうだ。
前回健太がこのブログでプカ・シェールについてちょっと話したら、
どなたか、かなり高価だったけど愛する奥様にプレゼントとしたと、
コメントを下さった。
でも前回はこのプカ・シェールについて真剣にに考えずに記事をアップしたので、
ちょっと訂正をしたい。

 つまり今回、健太がただ何気無くノースのビーチを歩いただけで既に何個か拾えた。
別に砂を掘った訳でもなくその辺に落ちてた。
って言うことは、もし熊手やネットを持ってやる気でプカ・シェール集めをやったら、
一日でかなり採れそうな気がするのさ!
1970年代健太もそのブームにのって、、、と言うか乗せられて、
ガールフレンドと早朝からプカ・シェールを採りにノースに出かけた事を思い出す、、、。
あの時はそれこそプカ・シェール採取の連中で、ノースビーチは何処もは黒山の人だかりだった。
健太たちは朝から夕方まであれほど頑張ったのに、確か10個も拾えなかったと思う、、、(汗)。

 そんな訳で、ノースを歩くのもいいけど、
その内に、本格的にそのプカ・シェール採取に出かけようかなと思っている。
ブームを去った今、きっといい結果が得られるような気がする、、(笑)!

 写真は最近ノースで拾ったプカ・シェール。健太がとんまに作ったランチのうどん。美味そうでしょ、、(笑)?      


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January 30, 2008

ノースに、こんな家でも良いから別荘が欲しい、、

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 「健太、健太にコメントをくれるM子さんて覚えてる?」
昨日ムービーマンから電話が入った。
「もちろん覚えてるよ。去年彼女がハワイに来たとき、
マカレー・チャプスイに麺を一緒に食べに行ったからね!」
「そうか、その人が今日うちのホテルに来て、健太にって、
お土産を置いていったんだ。
今週の土曜の映画の日までは持たない物かも知れないから、今日取りに来てくれるか?」
そんなわけで早速昨日午後、ムービーマンの勤めるAホテルにそいつを取りに行った。
M子さんは健太の読者の中でも、
健太のなんちゃってサクセス・ストーリー、86話(未読の方はここをクリック!)」をも全て読破、
更に彼女はハワイに来るたびに、そのストーリーに出てくる場所を隈なく歩いて廻るという、徹底した本格派ブログ友だ。

 「トイレット・ペーパーがないよ、健太!」
今朝のとんまのその一言で、「Costco」へ行くと決めた。
ご存知の通りCostcoは会員制の店で、色んな物が安く買える。
特にトイレットペパーのようにバルクで(まとめて)買うものは、更に格安になる。
今日の天気はと言うと、晴れてるのに雨が降ったりする、いわゆる「狐の嫁入り」模様!
高速を空港方面に走ってスクール・ストリートで出て、リリハを経由、
デリングハム通りを行くともう直ぐCostcoに着く。
駐車場ではまさにその狐の嫁入り。
真っ青な空なのに雨がかなり強く降って来た。
このCostcoに来ると名物の「ノンファット・ヨーグルト・アイス」をとんまとシェアーして食べるのが恒例になっている。
「ノンファット・ヨーグルト・アイス」は大きなカップに山盛りになって出てくる!
「今日は寒いからこんなに食べれないよ、、、」
半分も食べないうちにとんまは匙を投げた、、。
確かに健太もぶるぶる震えだした。
それほどこのところハワイは寒いのさ!

  Costcoの帰りにキング・ストリートの「ロングス・ドラグッス」へ立ち寄った。
店内に入るとキャッシャーの付近から声がした。
「とんま!とんまじゃないの!」
その声の主を見たら相手は3人のお姉さま方。
3人ともとんまのフライト・アテンダント仲間だ!
「やっぱりとんまじゃん!髪の毛がとんまに似てる人がいるねって、今皆で話してたのよ!」
健太は軽く彼女たちに会釈をすると、とんまをおいて目的のクスリ売り場へ、、。
エアーボーンが欲しかったのさ。
「あっ!」
そのほかセールでめぼしい物をカートに入れながら、ふと前方を見て健太は思わず声を上げた。
何と、あのM子さんとその友達Uさんが、こっちへ向って歩いてくるじゃないか!
「M子さん!」
健太も驚いたけど、向うも驚いた。
「け、健太さん、、、????」
だって過去の人生において健太は、彼女に一度しか会ったことがないんだ。
今回もムービーマンから彼女のお土産は受け取った物の、
顔もあわせていなければ、話もしていない。
なのに、まさかこんなところで会えるなんて!!
世界は狭いもんだね。
お土産も頂いたし、是非お会いしたい思っていたM子さん。
やっぱり、心で思っていれば必ず通じるもんさ、、(笑)。
大喜びで抱き合う健太とM子さん!
早速そこへとんまがやって来たので紹介。
喜びと驚きに盛り上がった4人、、、、、(笑)!
そばを通る人たちは健太たちの騒ぎ具合に、
<何事が起きたんだ?>と言った怪訝な表情で過ぎていった。

 写真はワイメア・ビーチから少し東に行ったところの、多分空き家とおもわれるオーシャンフロントの別荘らしき建て物。
建物はご覧のような掘っ立て小屋で、敷地は100坪程度。でもさ、こんなボロ家でも良いからノースに別荘欲しいなあー、、、と思うのは健太だけでしょうか、、、(笑)! 、
 

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January 29, 2008

車検のないハワイ

Dsc00471_2ワイメア・ビーチパーク。
Dsc00474ププケア・ビーチ。
Dsc00459トランズ・ビーチ「ライフセーバー」のデユーン・バギー。

 雨、雨、雨、、、。
一体どうなってるのか、ホノルルの天気は、、、。
昨日もノースで突然の豪雨!
とても止みそうもないので途中で、ウオーキングをきり上げて帰って来ちゃった。
「ハワイの冬は雨季」、とは言うものの、ひどいもんさ。
 
 こんな雨の日は何処へ行っても人出も少ない。
「よし、今日はマッキンレー・カーワッシュへ行こう!」
午後になって雨が少し小降りになった頃を見計らって、マッキンレー・カーワッシュへ!
「健太、気でも狂ったの?」
なんて言われそうだけど、本当に行ったのさ。
さすがに人はまばら、、。
まばらって言うからには何台かの車は洗車をしようと、そこへきていた。
<こんなとき車を洗ったって、直ぐに汚れるのに、、>
えっ?健太は、、?
ははは、実は健太はカーワッシュに行った訳じゃない。
セフティーチェックをしてもらう為に行ったって訳。

 ハワイには車検はない。
その代わり1年に1度、セフティーチェックを受けなくてはならない。
それは最寄のガス・ステーションでやってくれる。
要するに「ライトが灯くか」とか「ウィンカーはでるか」「タイヤは磨り減っていないか」、、など基本的なチェックをするだけなのさ。
そんな訳で料金も15ドルちょっとと、滅法安い。
日本の場合車検で10万円位掛かると聞いている、、(汗)。
ただし、もしそれらに不具合があればもちろん直してからでないと許可は下りない。
健太の車は無事にすべてOKでした、、(笑)!

 写真は昨日撮ったノース。ノースは何処を撮っても絵になるね、、(笑)!


 

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January 28, 2008

オアフ島を歩こう、ワイメア・ビーチ・パーク編

Imgp4011ノース・ショアー「トランズ・ビーチ」
Imgp4015_2トランズ・ビーチからビーチ沿いに歩いた。
Imgp4022ワイメア・ビーチパーク。今日はヨットが浮かんでないね、、。
Imgp4029おっさんと出会った、無名のビーチ。これぞまさしく冬のノースだ!

 「そうさなあ、このビーチの名前は俺にもよくわかんないが、
この先のハレイワの町から東へ約7マイル(12キロ弱)をノース・ショアーって呼んでるのさ!」
ハレイワの先でバスを降りて、
ラニアカイ・ビーチ、カワイロア・ビーチと歩く。そしてワイメア・ビーチパークを過ぎるとまたビーチ!
<一体このビーチの名前は、、、?>
そう思っていると、
ビーチ前の狭い針葉樹林に中に、バスタオルをテントのように張って休んすんでいる男を見つけた。
50半ばを過ぎと思われる男は、痩せて髪はぼさぼさのちじっ毛。
顎髭にも半分以上白い物が混じっている。
「Hi!」健太は声を掛けた。
「Hi, how are you doing?」
陽気な返事が返ってきた。
「このビーチの名前は何ていうんですか、、?」
その問いに、男はテントから立ち上がって冒頭のような返事をしてくれた。
目の前のビーチはさすがに冬のノース、寄せては返し轟々と音をたてている。
「おい、お前さん腹は空いてないか?」
写真を撮り終えて行こうとする健太に、そう声を掛けて来たおっさん。
片手に何かのフルーツを持っていた、、、。

 今朝方、やっぱり天気が悪かった。
しかし今日はどうしても歩きに出たかった。
<今日はノースに行ってみよう!>
昼少し前にマキキをバスで出発。
多少天気の心配はあったけど、そんなことを言ってるとまた出れなくなっちゃう。
相変わらずバスの乗り継ぎが悪くて、ハレイワに着いたのはもう2時に近かった。
ハレイワでバスを降りようと、止まるサインのワイアーを引っ張っても、
「Stop Requested」というドライバーに知らせる赤いランプがつかない!
何度もやっているうちに結局ラニアカイ・ビーチまで来てしまった。

 それでも久しぶりのノース、さすがに気持ちが良い!
ワイメア・ビーチ・パークへは前回のように湾に浮かぶ白いヨットを想像して望んだけど、
残念ながらヨットは浮かんでいなかった。
前回はまるで健太が来るを待ち受けているかのように、
湾には白く美しいヨットが浮かんでたんだ。
覚えている、前回の写真?

 もう少しで「バンザイ・パイプライン」ってところで急にスコールがやってきた!
<もう少しのところなのに、、、、>
暫らく木陰で休んだけど、とても止みそうもない。
と、丁度そこへホノルル行きの52番のバスがやってきた。
時計の針は4時を少し廻っている。
バス停は近い!
思い切り走って、そのバスに飛び乗った健太でした。
でも今日の収獲は「ノースショアー」とは一体どの辺を指すのか、
あのおっさんが教えてくれたことで、うやむやが少し晴れたこと、、(笑)!


 今日の万歩計は、12100歩。

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January 27, 2008

時代の先端を行くとは、、

Dsc00452

 今回日本で兄貴が「我が家の家系譜(図)」をくれた。
読んでみると、、

 「XX家系統は明治元年、戌辰戦争に際し焼失して不詳なり。
よって法名年月日の順を明国寺過去帳より書き取りて記載す」
と最初にある。
家系譜は延々10枚にのぼる書状で、面々と健太の先祖の名が連なっていた。
もちろん江戸時代辺りの知らない先祖には、何の興味もない。
ただただ「ふ~ん、、」って感じだね。
多分皆も同じだと思うけど、知っているのは、結局おじいちゃんおばあちゃんからだ。
しかし、おばあちゃんの名前をその家系譜に見た時、
一気に何か熱い物がこみ上げてきた。

 健太のおばあちゃんは当時の、いわゆる「モダンばあちゃん」。
健太が小学校2,3年生の頃疎開先の田舎から、
東京の高井戸(富士見ヶ丘の中間)の健太達の家にやってきた。
歌が大好きなおばあちゃんで、何時も大声を上げて歌ってた。
何しろあの時代に聖心女学院を出ていた人なので、
気位が非常にた高かった。
そう、健太のおばあちゃんは皇后陛下の先輩さ、、(笑)。
時々英語なんか喋っているのを聞いて、「えっ、このおばあちゃんが?」って驚いたっけ!
 
 しかし何故か幼い健太君は、このおばあちゃんが苦手だった。
先ずそのイデタチが凄い!
冬には山に住む樵(きこり)みたいに、何かの毛皮をリュックサックのように背中にしょっていた。
暖かいんだろうけど、子供心に「カッコわりーなー、、」って思ってた、、。
また夏は、「アッパッパー」と言う今のムームーのようなものを着て、そこいらを闊歩する。
胸が広く開いているんで、「しわがれ・おっぱい」が時々覗くのさ、、(汗)。
「健太、わたしゃね学校で皆んでコーラスを歌ってるときに、
先生が私のほうを指差して『あっちの方で素敵な声が聞こえる!』って何時も言われたんだよ!」
そんな自慢話にも、耳にたこが出来てた、、。
ま、そんな訳で近所でも「変わり者のお婆さん」として通ってた。
それと何より健太は、そのおばあちゃんの名前が嫌いだった。
「お前のお婆ちゃん変な名前だなー!」
なんて言われて、近所の悪餓鬼どもにからかわれた。

 ところがそれから何年も経たない内に、
突然おばあちゃんの名前が日本中で流行りだした。
どこかの玩具メーカーが、「リカちゃん人形」なるものを発売、そいつが爆発的に売れたんだ!
そう!おばあちゃんの名前は「リカ」だったのさ!

 明治生まれの健太のおばあちゃん、進んでいたんだね!
ひょっとして、先端を行過ぎたのかもしれない、、、、。
おばあちゃんは、その後昭和47年9月大往生した。
健太はその時既にハワイ来ていたけど、
亡くなったのが偶然日本に帰国していた時なので、葬式には参列できた。
それって、何だかついこの前のようにも思える、、、、。
 
 写真は今日のカピオラニ通り。
この空は晴れているけど、今日も健太の家の辺りは雨が多かった、、、。

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January 26, 2008

ライエ・ポイントもう一つの表情、、

Imgp3987

 今日は風が強くて、空には雲がいっぱい。
青空はちょっぴり見えるけど、なんともハワイらしくない寒さ、、、。
これじゃあ観光で来て海に入りたい人たちには気の毒な天気だ。
健太はというと、昨日から左足の小指が滅法痛い、、。
まるで誰かが思いっきり、健太の左足の小指をもぎ取ろうとしているような強烈な痛さ、、(涙)。
じつは、こんな時こそ歩きに出るべきなのさ!
以前にも書いたけど、腰が痛いとか体のどこかが痛い時は、構わず歩く事。
そうすると不思議なもんで、その痛さの方が尻尾を巻いて逃げてゆくんだ、、(笑)!
でも、こんな天気じゃあなあー、、。
そんな訳で今日は歩きには出ずに、午前中TVでゴルフを見た。
タイガー今季初出場の、「ビウィック・インビテーショナル」。
何とわがタイガー、2位スチュワート・シンクに8打差をつけた18アンダーで断トツ!
今日のタイガーはパターがびしびし決まってる。
こんな時の彼には幾ら廻りの連中がトッププロと言えども、誰も足元にも及ばない。
まさに「ターガー・イズ・世界ナンバーワン・ゴルファー!」の真髄を見た思い。
明日の最終日に一体何アンダーまでスコアを伸ばすか、見ものだね!

 さて、今夜はムービーマンとの映画の日。
作品はシルベスター・スタローンの新作「ランボー」。
前作品「ロッキーIV」では、年令を省みないハードなアクションを見せてくれた彼、
今回もまたアクションがメインの映画なんで、どんな「ランボー」を見せてくれるかとても楽しみだ。

 写真は一昨日行ったライエ・ポイントの別の表情。
岩場の突端には釣り人のトラックが止まってる。

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January 25, 2008

オアフ島を歩こう、テンプルビーチ&フキラウ・ビーチ

Imgp3994_3テンプル・ビーチ。
Imgp3993
テンプル・ビーチの入り口にはこんなエリアがある。
Imgp3996フキラウ・ビーチ。
Imgp4002「マラエカハナ」リクリエーション・エリア。

 ライエの町を過ぎてサンセットビーチ方向方へ歩くと、やがて右手に「テンプル・ビーチ」が見えてくる。
と言ってもとても小さなビーチなので、車ではよっぽど気をつけないと通り過ぎてしまいそうだ。
前回このビーチでウィンド・サーフィンをしている50歳位のロコに、
「このビーチの名前はなんですか?」
と訪ねたら、
「正式な名前は知らないけど地元じゃみんなテンプル・ビーチって呼んでるのさ!」
って事だった。

 テンプル・ビーチを過ぎて更に進むとまたビーチ・パークが現れる。
かの有名な「フキラウ・ビーチ」だ!
ポリネシア文化センターが出来る前、ここはオプショナルツアーでナンバーワンの人気スポッとだった。
「フキラウ」とは「引き網」の事で、ここで昔のハワイアンたちが「引き網漁」していたことから、
観光客たちにもそれを実際にやって見せていたと言う。
しかし現在はご覧のように、寂れたビーチになっている。
向こうの方でカイト・サーフをしているのが見えるね、、。

 更にカム・ハイウェーをサンセット・ビーチ方向に進むと、
今度は昨日も紹介した「マラエカハナ」の入り口がある。
昨日は光量が少なくて」なんて写真を載せなかったけど、中でも比較的いいものを今日は掲載した。
「マラエカハナ」は州のリクリエーション・エリアで大きな公園になっている。
もちろん素晴らしいビーチがあって絶好の観光スポットでもある。
このビーチからは直ぐ先に、ご覧のような島が見えて、
ちょっと泳ぎの達者な人なら泳いで渡れるほど!

 この辺も見ておくと更にハワイ通になれますよ、、。ねえ、アヒ・ポキさん、、、(笑)!

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January 24, 2008

オアフ島を歩こう!ライエ・ポイント編

Imgp3986ライエ・ポイントから見える穴の開いた小さな島。
Imgp3990同じくライエ・ポイントからカネオヘ方向に向かって!

Imgp4008
ムービーマンが卒業したカフク高校。

Imgp4000
ステートのリクリエーション・エリア「マラエカハナ」入り口。

 今朝もマキキエリアは雨が降っていた。
でも昼近くなって晴れ間も少しずつ見え始めたので、
<今日は何が何でも歩きに出よう!>
と心に決めた。
用事を済ませて家を出たのが午後1時近かった。
ヌアヌパリで乗り換えのバス、55番がなかなかこない。
<ちょっと家を出るのがおそすぎたなあ、、、>
いらいらバスを待つ健太。

 「健太、カフクの隣町ライエに『ライエ・ポイント』って言う、
素晴らしい景色のところがあるんだけど、行った事あるか?」
健太がこのオアフ島を歩き始めたころムービーマンが言った。
カフクもライエもノースの一部とも考えられる。
さぞかし優れた眺望があるに違いない!
カフクもライエも行ったけど、まだそのライエ・ポイントってところには行った事がない、、。
<よーし、今日はそこいら辺を歩いてやろう!>

 バスの乗り継ぎが悪かった結果、
何と健太の乗った55番のバスがライエ・ショッピング・センターに着いたのは、
4時近かった。
ライエ・ショッピング・センターの正面海側に向う道、
「アネモク・ストリート」を登って15分ほど歩くとライエ・ポイントに出る。
素晴らしい景色だと言うのに、観光スポットとしては隠れ家的存在なんだろう、
数台の車が止まっているだけだ!
岩場ではロコたちが釣り糸を垂れている。
暫らくその素晴らしい眺望にうっとり、、。
時計は4時をとっくに廻っている。
<何とか今日は最低でも1万歩は歩きたい、、>

 ライエ・ポイントを出た健太、次の町カフクへ向う。
途中「マラエカハナ」と言うハワイ州の管理する「リクリエーション・エリア」がある。
ここも素晴らしいビーチパークだ!
しかしこの辺りで既に陽が大分傾きかけてきた。
写真も数枚撮ったけど、光量が少なくていまいちの出来、、、(汗)。
カフクに着いたのが5時少しすぎだった。
このカフクの町の中心部には我がムービーマンの卒業した、
「カフク・ハイスクール」がある。
この学校でムービーマンは、
お尻の大きな白人の女の娘を追っかけまわしてたんだとさ。
いや、一説によると反対に追っかけまわされたとも聞く、、(笑)!
 
 今日は結局13880歩、歩きました!
ま、久しぶりの足慣らしには丁度良かったかも知れません、、(笑)!

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January 23, 2008

不思議な国日本、、

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 日本のテレビドラマに、「X曜サスペンス」なんて番組がある。
サスペンスドラマは結構人気があるらしく、今回も日本に行った時何度か見たし、
また時々ハワイでもそんな日本のサスペンスドラマを放映している。
あれって、絶対おかしいと思うんだなー、、。
ドラマが進んでいってクロージングに近くなると、
主人公の刑事か探偵、それと犯人、被害者の肉親や知人たちが必ずと言っていいほど、
どこかの海の見える断崖に集まる。
やがて探偵とか刑事は事件の内容を説明し始めて、その事件のトリックを明かしてゆく、、。
被害者の肉親は悲しそうな顔でじっとその説明を聞き、
犯人は刑事の説明をふてくされた態度で聞いている。
それが必ずと言って良いほど、どこか「海の見える断崖」だからおかしいよね、、(笑)!

 水戸黄門も似たようなもんで、
ドラマの終わりのほうでは一寸したアクションがあって、それが終わると、
悪代官やけなげな被害者が集まって、黄門様の話をじっと聞いている、、。
ま、こっちの方はそれが売り物だから仕方がないかもしれないけど、
やっぱりおかしい、、。

 今回の訪日で中部セントレア空港を降り立ったとき、その立派さには驚いた。
あれだけの施設を、一地方空港として造ったのは凄いと思う。
しかしその立派さとは不釣合いなほど、幽霊屋敷、、
とまでは行かないまでも、利用客が極端に少ない。
<一体これでもとが取れるのかなあ、、、?>
寂れた空港周辺を兄貴の運転する車に乗りながら、
自分の懐ではないというのに何故か凄く不安になった、、。
空港から兄貴の半田の自宅までせいぜい15分のドライブ。
それでも途中、高速道路に何がしの料金を払わなければならない。
「高速を使わなきゃ空港には入れないのさ!」
兄貴が忌々しそうに言った。
「えっ?空港にアクセスする普通の道路はないの?」
「そんなものありゃしないよ!」、、、、。
何と言う事だ!
そういえば関空もそうだよね、、、。

 何時も日本で気になるのが、電車の優先席。
「お年寄りや、体の不自由な方たちのための優先席です」
って、そこには書いてあるのに、若者が股を広げて偉そうに座っている!
こうした不道徳の若者たちに対して、
日本人は何も感じないのかなあ、、?
つまりさっきの「サスペンス」や「水戸黄門」、「空港への高速道路」にも、
それが当たり前と慣らされていて、何も感じないのと同じように、
誰も何も言わない!
誰かそれを大声で叫ぶ人間が出てきてもおかしくないのに、みんな黙ってる、。
マスコミもこういったことの特集でも組んで、日本人の道徳観念にメスを入れて欲しい。
タレントや相撲取りの上げ足を取るばかりが能じゃないだろってんだ!
特に空港からの電車は、外国人からも見られている。
日本に到着したばかりの彼等は、日本人の品位のなさ、無教養さを見てあきれてるに違いない、、、。

 写真はある日のカイルア・ビーチ。


 

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January 22, 2008

出世とはなんだ!

Imgp3965

 この3回ほど親父の事を書いた。
親父はお袋、つまりT子を捨てS子に走った。
その理由は色々あったたと思うけど、
「専務の娘S子と一緒になれば、出世が出来る!」
と言う思いがかなり比重を占めていたに違いない。
悲しいかな、それも男の生き方として一つの選択肢であったろう、、、。
そこで、
「じゃあ君の親父はそれで出世できたの?」
っていう質問があると思う、、。
これも風の噂によると、彼はその大手企業の重役にまでなって、
後のその子会社の社長として、彼のサラリーマン人生を終えたと聞く。
つまり、
「彼は出世した!」と言える。

 一度きりの人生、
どう生きるのもその人の自由、、、。
しかしそこまでして出世して、一体何の意味があったのだろうか、、、。
何のことはない、死んでしまえば何の意味もなかったと同じじゃないか、、、。

 ただ昨日こんな話をある人から聞いた。
山下(親父の仮名)の勤める会社の社長だか副社長だかの息子が、
その昔誘拐されたことがあったそうだ。
警察や新聞社が自宅に押しかけてきて大騒ぎ!
しかしその社長だか副社長は犯人から掛かってきた電話に出てこう言ったそうだ。
「うちの息子なんかどうでも良い!煮ても焼いても好きにしてくれ!!」
この親父の一言に、犯人側は拍子抜けして息子を返してきたそうだ。

 何が言いたいかって言うと、
あの頃の親父たちの中には今では考えられないほど、
「戦国時代気質」が蔓延していたに違いない。
自分さえ良ければ、子供の事なんかどうでもいいんだ!
考えられるのは、
あの頃、多くの親父たちは戦場へ赴き、命がけで生き延びて帰ってきた連中が殆ど。
多くの戦友の死を目の当たりにして、
九死に一生を得て帰ってきた彼等の人生観はかなりゆがんだ物だったのも、事実だろう、、、。

 しかしこれだけ平和な現代日本、
振り返ってみれば、子供たちを粗末に扱った事に後悔がないわけがない。
今回のこの一連の出来事で考えさせられたのは、
「出世とはなんだ、、?」って事さ、、、。
健太のバンドのベースマンは昔、
「青春とはなんだ!」と言うTV番組に、レギュラー出演していた、、。
えーと、彼の役は東大を受験しようとする秀才・高松君という生徒だった。
あんまり関係なかったか、、、、(笑)!

 今日ランチはキングストリートのマックで、ビック・マックを食べました、、!

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スッチー裏話

Dsc00002

 今日はとんまのスッチー仲間の新年会に参加。
21日が過ぎて22日の午前12時過ぎ間で飲んだくれてました。
と言っても健太はアルコールが弱いので、ワインを少々飲んだだけだけど、
でもスッチーたちの、「エッツ?そんなことあり、、!」みたいな裏話を、心行くまで楽しませてもらいました、、、(笑)!
集まったスッチーたちは、ホノルルー日本間を何十年飛んでいるベテランばかり。
そりゃあそれだけ飛んでいれば、色々な事があっただろうね!
芸能人、スポーツマン、政治家など、有名人の話が盛り沢山。
彼女たちならではの取って置きのそんな裏話は何物にも変えがたい、貴重な話ばかり。
週刊誌記者が聞いたら大喜びに違いない。
差し支えない話はその内また披露させてもらいます、、(笑)!

 ってな訳で大分健太なりにかなり酔っているので、今日はこの辺で失礼します、、(汗)!!

 写真はヌアヌパリ近くのミニ豪邸。

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January 20, 2008

ハワイの日本食品の卸し元、、

Imgp3953

 昨日の続き、、、、。
 
 昭和2X年。
T子は強引に山下(仮名)から離婚を迫られた。それは殆ど脅迫といっても良かった。
しかもそれには滅茶苦茶な条件を付けられていた。
離婚後M男もK男も山下の性を名乗ってはならない。
また今後一切、T子はじめ子供たちは山下に関わり持たないこと、。
T子はともかく、それは子供たちにとって全く人権を無視したものと言ってよかった。
M男もK男もその昭和2X年を持って山下の人生から抹殺された。
何と、、、あれから既に50年以上も経つ、、、。

 風の噂って言うのがあるよね、、、。
山下は(親父は)S子と再婚して男の子が2人できたと聞いた。
その2人の子は俺たちの異母兄弟って事になる。
その後親父の事などとんと忘れて、時々何かの機会に話が出る程度だった。
「おじいちゃんって、私達にはいないの?」
そんな話が健太たちの子供から出ることも有るしね、、。

 だが近年おっかさんの調子が悪くなってからというもの、
俺たち兄弟は親父の安否もそれなりに気になりはじめた、、。
数年前に健太は兄貴に言った。
「親父まだ生きてるのかな、、、」
「そうさなあ、、、気になるなら調べてみるか?」
その後兄貴の調査で、山下はまだ生存している事が分った。
「一応1年に一度くらいは安否を調べよう、、、」
兄貴は至って事務的に言った。
我々兄弟にとって山下は親父ではなく、単に「山下」と言う一個人でしかない。
何しろ俺たちが山下に捨てられて50年も経っているんだ、、。

 2007年12月x日8:15PM。
ホノルルの健太の家の電話が鳴った。
普段この時間はどこからもあまり電話は掛かって来ない。
健太は変な予感がした、、。
「親父はまだ生きてるのかなあ、、?」
「ああ、そういえば最近調べていないなあ、、。ま、近いうちにまた調べてみようか、、、」
先週(12月)日本に行った時そんな話を兄貴としたからだ。
受話器を取る前に健太はとんまに言った。
「もしかして親父が、、、」
とんまの顔が引き攣った。

 「もしもし、、?」
「おう、健太か?M男だ。山下が死んだ!」
健太の予感は的中した!
「どうだ健太、一月中ごろ日本に来れるか?」
「焼香でもしようってのかよ、、」
「ふむ、ま、向こうには俺たちの異母兄弟もいる。こっちの思うようにはならないさ。
それに、やつ等は俺たちの存在すら知らないかも知れん、、」

 先々週、1月10日。
健太ととんまは日本に着いた。
半田の兄貴のところで2泊。その後は東京のとんまの実家へ、、、。
日本は寒かった。
ましてや夜に布団に入ると何故か親父の事ばかり考えてしまって、
なおさら寒さが身に沁みてくる、、、。
とんまはフライトがあるので先にホノルルに帰らなくてはならない。
「健太、あたし先にホノルルに帰ってるけど、元気を出して。しっかりしてね!」
健太が毎日何かに取り憑かれたようにボーットしている姿を見て、
心配そうにとんまは言った。

 そして16日の朝、カミソリが紛失しているのに気がついたのさ!
更に17日、何とその紛失したはずのカミソリが、もとの位置にしっかりと置かれていたんだ、、。
あの夜、健太の夢の中に出てきたのが誰だかわからない、、。
でもまるで、
「わしがあのカミソリの悪戯をしたんだ!」、、、
と言いた気に、その影は脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消え、、。
そう、それは「山下」、つまり親父に間違いない!
50年前に、あの「レッドソックス」の2枚のチケットを隠した健太への仕返し、、。
と言うより、
きっと親父は、彼がもうこの世の者ではなくなっていることを俺たちに知らせる為に、
そんな悪戯をしたんじゃないかな、、、。

 山下さん。成仏してください、、、。

 写真は会員制日本食品の店、「マルカイ」。元来彼等は卸売りが本業です、、、。
今日は雲も多かったけど何とか晴れてくれました、、。1月に入ってから天気は大分回復しているようだね!

 


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January 19, 2008

そして幽霊の正体は、、、

Dsc09601

 山下(仮名)はM大学のエース。
六大学野球史上に何とか自分の名前を残したかったが、もう既に時は遅かった。
卒業前最後の秋のリーグ戦を終えた現在、在学中「36勝」と言う数字は何らかの形で名前は残るとしても記録にはならない。
卒業後はある大手企業に就職が決まっている。
プロからの誘いも有って仲間の何人かはその誘いに乗ったが、山下は当時まだ不安定だったプロ野球に一生を投じる気にはなれなかった。
愛するT子もいる。T子を幸せにするにはそれが一番だと、自分に言い聞かせた。

 その日山下たち4年生は、後輩たちを鍛えるために春先の練習に参加した。
「山下!面白い話が来たぞ!」
練習を終えた山下が部室のロッカーで着替えていると、キャッチャーの村田がその太った体を揺さぶりながら汗を拭き拭き興奮した面持ちで入ってきた。
現在M大のキャッチャーは村田、川合と2人いて、どちらも実力はほぼ互角。
先シーズン、川合の方がわずかに打率が良かった。
しかし山下の投げる時は必ずこの村田を指名した。
理由は村田の巨体はピッチャーが投げる的として安心感を与えてくれるからだ。
つまり、「的は大きい方が投げやすい」と言うのが山下の持論だった。
「プロのタートルスが明日俺たちのグランドをトレーニングに使いたいと言ってきている!」
村田は部室のロッカーの前の長椅子に座ってユニフォームを脱ぎながら、バッグを取り出してアンパンをかじった。村田は何時も何か食べていないと気がすまない男だった。
「それがどうしたんだ、、」
「それでさ、タートルスのマネージャーが明日うちの野球部に練習試合の相手になって欲しいと言って来てるんだ!」
「プロが俺たちアマを相手に試合をしたいって事か?」
「そうなんだ!それでうちの監督は明日その試合でお前に投げさせたいって言ってる!」
村田は既に2つ目のアンパンを頬張りながら山下にそう言った。

 時は昭和9年2月某日午後。
まだプロ・アマの間に難しい制約のない頃、M大とプロ野球チーム・タートルスの試合はM大の野球グランドで行われた。
T子はマウンドで力投する山下の姿をじっと見守っていた。
山下は時々一塁側客席の芝に座っているT子を見ては、かすかに笑顔を見せた。
その笑顔にT子は恥ずかしそうに微笑み返した。
客席にはこの近くの住民たちがかなり集まって来ている。
プロの有名選手も来ているばかりか、地元のM大がそのプロと対戦する。こんな機会は二度とやってこないかもしれない。
そんな思いで近所の住民は集まったに違いない。
その数はざっと200人ほどだろう。
カメラを担いだマスコミの姿もちらほら見える。
T子はこのM大の野球グランドのすぐそばに住んでいた。
山下は何時もM駅からこのグランドに向う途中、T子の家の前を通らなければならなかった。
小柄で色が白く、美しい瞳のT子の姿を垣根越しに見いながら、
<あんな女の娘と結婚したい、、、>
と、山下は密かに心ときめかせていた。

 試合は既に9回裏、5対3でタートルスがリードしている。
ランナー2塁3塁。2ダウン、2ストライク3ボール!
バッターはキャッチャー村田。
タートルスのピッチャーはこの9回から突如登板したエース落合。落合はその急速に落ちるドロップを武器に昨シーズン22勝を上げている。
まさかの彼の登板に観客は沸いた。
<アマとの試合にエースを出すとは、、、。それも押さえに、、、、>
誰もがそう思ったに違いない。
しかしここでのエース登板はそれほどの意味はなく、単なるファンへのサービスだったのだろう。

 村田は落合の表情を見て、
<次は絶対に決め球を投げてくる!>
と山をかけた。
大きなモーションからボールが落合の指から離れた。
プロのボールは球足が速い。
しかし村田の予想通り、ホーム・ベースの近くでボールは急速に落下した。
村田はそのボールをなんとかバランスを崩しながらも、下からしゃくうように打った!
村田のバットに当たったボールはピッチャーとショートの間にふらふらと上がった。風に流されてその距離が伸びている。
それを捕らえようと全速でボールに向かうセンターがだっがたが、差し出したグラブのほんの少し先でグランドに落下した。村田はゴルフでもスライスしか打てない男だった。
グランドに落ちたボールは激しい右回転でライト方向へ転がった。
その間2塁3塁のランナーはホームベースを踏んでいる。
5対5の同点だ!
ライトがもたもたしている間、さすがの足ののろい村田も懸命に走った。
2塁打だった。
観客がいっせいに沸いた!

 次のバッターは9番の山下だ。
山下はピッチャーだが、打撃にも自信があった。
なにしろ甲子園で全国中等学校優勝野球大会 (高校野球の前身) に4番ピッチャーとして出場した経験がある。
マウンド上のエース落合はC中学野球部の先輩だ。
<何とか落合先輩からヒットを、、!>
気負う山下に現実は冷たかった。願いも虚しく結局空振りの三振に終わってしまった。
しかし試合はその後、
延長10回の裏、4番大田のさよならソロホーマーと言うあっけない結末でM大が勝ってしまったのだ。
筆者の知る限り、アマチュアがプロに勝ったと言う記録はこれ以外にない。
いや記録として残っているかどうかも正直言って分らないが、
野球史上、後にも先のもアマチュア野球がプロ野球に勝ったのはこれだけだろう。
もちろん勝ち投手は山下。
これは山下本人から聞いた実話である。

 山下はM大卒業後、めでたくT子と結ばれた。
子宝も男子2人に恵まれ、新居も井の頭線「F駅」から10分ほどのところに構えた。
勤め先ではその会社の野球部に入って、好きな野球で活躍もできた。
大企業であるにも関わらす、山下は社内の何処にいても目立つ存在だった。
長身かつ色黒でその彫りの深い精悍な顔立ちは、若い女子社員たちにも大いに人気が有った。
長男M男が10歳、次男K男が7歳。
子供たちも元気でいい子に育っている。
長男の学校の成績は常にトップ。
次男は自分に似てスポーツ向き。どちらも自慢の息子たちだ。
また比較的古風ではあるがT子の料理は抜群で、付き合いで行く何処の料亭の料理も山下には色あせて思えてならなかった。
何の不満もない山下の人生のはずなのに、、、、
何かが満たされていなかった。
山下は何とか出世したいと願っていたが、なかなかその機会に恵まれないのだ。
たとえ会社の野球部で良い成績を出しても社員たちにちやほやされるだけ、
それは出世とは何の関わりもなかった。

 長男M男が11歳になったとき、やっと係長の辞令が下った。
<よし、今度は課長の席を狙ってやろう!>
これと言ったエンターテイメントのなかったあの時代の野球は、
今では想像もつかないほどの人気スポーツだった。
6大学のエースはまさにスターと言っても過言ではなかった。
幸い野球で重役連中も山下の存在を知っていてくれている。
山下は機会があるたびにその立場を利用して彼等に接近した。
そんなある日、新入女子社員が山下の下に配属されてきた。
S子だ。
S子は足の線が抜群に綺麗な、近代的なセンスを持ち合わせた美人だった。
「山下君、今度君のところに行ったS子だが、実は私の娘なんだよ。ま、君の力で当社の社員として一人前に育ててやってくれんか」
専務取締役の片岡が廊下ですれ違いざま山下に声を掛けてきた。
「あー、そうだったんですか。分りました。お任せ下さい!」
意外な専務の言葉に山下は緊張した。

 ある晩残業を終えて時オフィスに残っていたのは、S子と山下だけだった。
「山下さん、こんなに遅くまであたしを働かせて、、、。帰りにお食事位ご馳走してくれるんでしょ?」
いたずらっぽく笑って山下の表情を覗き込むS子目が、山下を動揺させた。
その夜山下はS子を連れて帝国ホテルでステーキを食べた。
<T子が焼き魚なら、このS子はまさにステーキみたいな女だ、、>
山下はそんなことをステーキを食べるSを見ながら思った。
帝国ホテルのレストランを出たS子は、さっきのワインでかなり酔っている。歩きながら山下に寄り添って身を任せてくる。
「おい、S子、、、、」
山下は少しS 子を押し返した。
「あら、山下さん、S子の事嫌いなの?」
「ば、馬鹿な。俺は結婚しているんだぜ」
「何よ!生地なし。ねえ山下さん、あたし昔から山下さんのファンだったの。知ってた?」
「知らん。でも、昔から?」
「そう。あたしこれでも山下さんがM大でピッチャーしてる頃、神宮球場に入りびたりだったんだから」
「、、、、、」
「そうね、貴方には何時も素敵な人がいたからあたしなんか、、」
そういいながらS子は一人先を歩いて行った。

 その後山下は残業があるたびにS子と食事をするのが当たり前になっていた。
「ねえ、山下さん、出世したくないの、、」
そんなある晩、S子は山下の腕にすがりながら言った。
<出世、、、。もちろんしたい!>
そう言いかけたが言葉にならなかった。
「パパに頼んであげようか、、、」
S 子はまた、あの下から覗くような笑顔で言った。
<T子とこのままいたって、俺は死ぬまで会社の重役などにはなれない、、でももし俺がこのS子と、、、、>
そう思った時、山下の唇はS子の唇と激しく重なった。

 「お母さん、お父さんはどうしてこの頃帰ってこないの?」
T 子は長男M男の言葉に何と答えていいか分らなかった。
山下はこの半年ほど殆ど帰宅していない。噂では専務の娘となにやら関係があるという、、。
しかし山下が生活費も入れてくれないので、食べ盛りの男の子を2人抱えて生きてゆくのは至難の技だった。
T子の父親は町医者。
多少は恵まれたていると言っても、昭和20年代初期、戦争直後の開業医など娘親子を扶養出来るほどの余裕はなかった。

 久しぶりに山下は井の頭線「T駅」の自宅に戻った。
<もうこの家には戻らないかもしれない、、>
T子の作った夕食事にも箸をつけず、風呂を浴びながらそう考えていた。
近々T子と別れてS子と結婚する事を決めている。
明日の日曜はアメリカの大リーグ「レッドソックス」と「日本プロ選抜軍」との親善試合だ。
S子を連れて見に行くことになっている。
風呂を出て部屋着に着替えて応接室の簡易ベットに横たわった。
<S子と結婚できれば、まず課長の席は確保できるに違いない、、、>
一日も早くこのT子やこの子供たちと決別しなくてはならないと心は焦るばかりだった。

 K男は久しぶりに父親が帰ってきたので嬉しかった。
正直言って、一緒に遊んで欲しかった。
<ついこのまえまではキャッチ・ボールをしてくれたのに、、>
しかし帰宅した父親はM男やK男たちを寄せ付けようともせず、眉間に皺を寄せた表情で家の中にいる。
K男は親父が風呂に入っている間にいたずらをしてやろうと思った。
応接室のハンガーに親父のズボンが掛かっている。
ポッケッとを探ってみると2枚の切符が出てきた。
そっとそれを抜いて子供部屋の自分の引き出しにしまった。
風呂から出た親父暫らくすると烈火のごとく怒って母親に当たりだした。
「おい、俺の明日のレッドソックスの切符を何処に隠したんだ!」
あまりの親父の剣幕に、K男は自分が隠した等ととても言えなくなってしまった。
翌朝K男は親父が髭を剃っている間を見計らって、2枚の切符を親父のポケットにそっと戻しておいた。
K男が学校へ行こうとすると親父が母親を怒鳴り始めた。
「誰だ、俺の切符を取って元に戻したのは!それともこの家には化け物がいるって言うのか!」

 そうです、このK男、つまり化け物の正体は何を隠そう健太だったんです、、、(笑)。

明日に続く、、、。

 写真はワイキキの「ハレクラニホテル」。ワイキキでは日本人の姿がますます少なくなってきているように思える、、。

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January 18, 2008

真冬でも幽霊は出るか、、、

Imgp3944到着後朝のH1フリーウエーを走る!前方の山はパンチボール。
Imgp3943帰りのFクラスの前菜。

 皆さん、アローハ!
無事にハワイに戻りました。
8泊の日本滞在、「真冬の日本」、決して快適とはいえないまでも、ま、
お陰さまで何とか寒さにも負けずにやるべき事はやってきました。
ラーメンも寿司も、思い切って食べられたからね、、(笑)!
でも、実は今回とても変な体験を日本滞在中にしたんです、、、(汗)。

 あれは帰国2日前のこと、、、。
とんまはもうハワイに帰ってしまっていたので、健太一人で実家にいたときの事さ、、、。
洗面所の洗面台には何時も、健太の歯ブラシと歯磨きチューブ、そして簡易安全カミソリが一本置いてあった。
カミソリは簡易とは言っても、健太の場合それほど髭が強くないので1週間は使える。
その朝起きた健太は歯を磨きながら、冷たい水道の水がお湯になるまで暫らく待っていた。
洗面と髭剃りはお湯が欲しいからね、、。
鏡の中に写る自分の姿は、このところめっきり白髪も増えて、
若い頃は似ていなかった親父に生き写しだ、、、。
歯磨きが終わって顔を洗って、さて髭を揃うと思って簡易安全カミソリを探した。
<おやっ?>
確かに昨日の朝までそこにおいてあったカミソリがないんだ。
歯磨きチューブは縦に、カミソリはその上方に横向きに置いておいたのに、、、。
<下に落ちてるのかなあ、、?>
おもむろに洗面台の下廻りを探すけど見つからない、、。
<おかしいなあ、、>
そう思いながらスーツケースのハワイから持ってきたもう一本のカミソリを持ってきて、
何とか髭を剃り終えた。
その新しいカミソリは、
昨日まであったカミソリと同じように歯磨きチューブの上のほうに横向きにきちんと置いた。
<それにしても不思議だなあ、、確かに昨日髭をそり終わって洗面台にこんな具合に置いたのに、、、>

 すっかりそんなことも忘れて、翌朝がやってきた。
寝ぼけ眼で歯を磨いて顔を洗って、
<さて髭を剃ろう、、、、>
と思ってカミソリを探した。
<ギャーッ!>
歯磨きチューブのすぐそば、洗面台の上を見て健太はぞっとした!
「身の毛もよだつ」、、、とはこのことだろう!
昨日あれほど探してなかった髭剃カミソリがそこあるじゃないか!
つまり、昨日新しく出したカミソリときちんと並行に並んで2本寄り添うようにそこに置いてある!

 どう考えたっておかしい、、。
もし昨日寝ぼけてそこにあるカミソリが見えなかったとしても、
そり終わって新しいカミソリを置く時に、古いカミソリがそこにあることに気が付くはずだ!
だってぴったり、まるできちんと並べて置いたように、2本のヒゲソリがそこにあったんだぜ!

 その夜健太はなかなか寝付けなかった。
どうにもその髭剃りの事が気になって仕方がない、、、。
<誰かこの家に来たのかなあ、、、、>
そうも考えたけど、それは考えられない。
万が一、誰かやって来たとしても、わざわざそのヒゲソリのだけ為にかい、、?
他には何事も起きていないんだ。
<そんな事があるわけがない!>
そう自分に言い聞かせながら、
寝付かれないまま色んな思いが寄せては返し、また浮かんだ。

 それからいつの間にか小一時間ほど浅い眠りに入っていたようだ。
だげどその眠りの最中、
突然ある一人の男の影が健太の意識のどこかを掠めた。
<も、もしかして犯人は!!??>
一瞬健太の半身はふとんの中から起き上がった。
外気は日本の真冬、まるで氷がへばりつくように健太の体温容赦なく奪ってゆく。
しかもその犯人像が更にその寒さに追い討ちが掛けてきた。
健太が思いついたその犯人は、既にこの世の者ではないからだ!

 明日へ続く、、、。

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January 17, 2008

健太、秋葉原で失敗の巻き!

 明日はホノルルに帰る。
結局7泊の日本滞在となったわけだ。
後半かなり寒かったけれど、せめて雨が降らなかったことに感謝したい。
なんといっても、ラーメンと寿司は思い切って食べさせてもらったので、それなりに満足できたと思う。
今7PM 、蒲田のインターネット喫茶にいる。
夕食はこの後なので最後の夜何を食べようかと思案の最中だ。

 東京は独身者も多いんだろうね、レストランへ一人で入っても何の違和感もないので助かるよ、、、。
どこへ行っても必ず一人で飯を食ってる奴がいるからね。
そこに行くとハワイのレストランはなかなか一人で入りにくい。
ワイキキ・ビーチなんかも、カップルが手に手をとって歩くのがお似合いだ。
そんな意味で、ハワイは独身者にはどこかよそよそしい街かもしれない。

 さて、さっき秋葉原から帰ってきたところなんでけど、
今回秋葉原ではちょっとした失敗をしちゃった、、、。
健太のデスクトップPCが遅くなって困っていたのはみんなも知ってると思うけど、
どうやらその原因はHDの空き容量が少なくなった事と、メモリーが小さすぎるのが原因のようで、
秋葉原でそのHDとメモリーを探しに行ったのさ。
HDは調度、500ギガと250ギガの外付けをセールしていた。
500ギガが¥13300,250ギガが¥6880と、超お買い得!
<今買うと荷物にもなるし、後で買おうか、、、>
そう思って用事を済ませてから夕方行ってみると、なんと売り切れになっているじゃないの!
ほかの店でも同じようなものを売ってたtけどちょっと高め、、。
なんだか損をしたみたいで、それを買う気にはなれないんだなー、、、。
それとRAMメモリーの方は店員に、
「私のPCはコンパック・プリサリオなんですけど、それ用のメモリーってありますか、、?」
って言ったら、
「お客さんおねがいしますよ、それって『トヨタのカローラ』って言ってるのと同じですよ!」
なんて怖い顔してにらまれちゃった。
言われてみれば確かにそうだよね、、、、(汗)。
ってな具合で今回はそれ等を諦めて次回求めることにしました、、。
次回は2月、たぶん中ごろの來日だと思います。
「えっ?何でまたそんなにすぐ来るの?」ですか?
ははは、出来る男は忙しいんですよ、、、、、(笑)!

 写真のアップ、何度やってもやっぱり出来ませんでした、、
残念だけど、ま、ホノルルに帰った等良い写真を沢山載せたいと思ってますのでよろしく! 

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January 15, 2008

東京ラーメン三昧!

 いやー、すっかりご無沙汰してます!
あれから半田に2泊の後東京でとんまと落ち合って、今日で3日目。
とは言うものの、とんまはフライトがあるのでさっきハワイに向かって発ちました。

 さて、健太はその後どうしているかって言うと、東京へ来ても相変わらずラーメン三昧!
それも、よせばいいのにまた大岡山は「王将」、「味庵」へ、、、!
もちろん3食ラーメンとはいかないので、
朝食は日本のうまいパンを食べて、昼間はラーメンそして夜は「回転すし」など、、
日本のB級グルメを心行くまで堪能しています、、(笑)!
 
 今現在、蒲田の実家の近くのまんが・インターネット喫茶へ来てます。
このまんが・インターネット喫茶店は、一時間100円という格安さ!
大岡山では一時間450円だから大いに助かる。
ってな具合に、取りあえずその後も元気で日本滞在を楽しんでいることを報告させて頂きました、、(笑)!

 写真は「王将」のねぎラーメンと、昔懐かしい中華そばでした!!
と思ったら、なぜか写真のアップが出来ません、、、困ったなあ、、。
ま、仕方がない、出来たら明日カードリーダーを使ってもう一度やってみます、、、(涙)。

See you guys!

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January 11, 2008

知多半島、ラーメン三昧!

Imgp3906

 夕べ夜中ずっと雨が降っていた。
でも朝方にはすっかり止んで、
そりゃハワイよりは寒いけど、比較的すごしやすかった今日の天気。

 さてやっぱり日本に来たらラーメンを食べたい。
すでに昨日この半田の「わだち」って言うラーメン屋に行ってきた。
こってり風ではあるけどもあっさり感もある、いわゆる海鮮風味のラーメン。
まずハワイにはないその味は極上で、とても美味かった!

 今日はというと、もちろんランチはまたラーメン!
この地域のラーメンコンテストで4位に入ったと言う「一八」へ行ってみた。
確かにここは素材にこだわったラーメン屋さんらしく、
そのこだわり具合を示そうと、店内にはそれらの仕入先や作り方、
また特徴を細かく表示してあった。
もちろんその隠し味については、「XX]と「00」等と伏せも字になっていたけどね、、、(笑)。
さてこの「一八」の味はと言うと、
うーむ、ちょっと塩分が高くて、健太敵的には昨日の「わだち」のほうが点数が高くなりそうだ、、、。
しかしそのトッピングの「炭焼きチャーシュー」や温泉卵風半熟卵は、
さすが地域4位を誇るにふさわしい人気ラーメンを演出していた事は間違いない!

 しかしこの辺り中部地方のラーメンを語るなら、
なんと言っても、名古屋駅から車で10分ほどの所にある、
ばってんさんの経営する「赤座」が一番美味いと思う!
今回はせっかくここまで来ていながら、
ばってんさんのところには寄れそうもないのがなんとも悔しい、、、。
ばってんさんごめんなさい、、、、(涙)。

 写真は「一八」の炭焼きチャーシューラーメン。

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January 10, 2008

とんまは義経の末裔、、、

Honolulu_airport
Imgp3899


 奥羽F原家は日本最高の貴姓「F原家」を僭称していた。
若き源義経は鞍馬の山から逃げ出して、暫くこのF原家の客人となるが、
F原ではこの義経の「源(みなもと)」の「血」を求め、多くの娘達を義経と一夜を過ごさせたと言う。
そんなことからF原家の子孫には相当数の義経の子孫がいるとも考えるのは無謀だろうか、、?
その地方にてF原の姓を名乗る家系ではその可能性は大いにあると思う。
これはあくまでも健太の独断と偏見であることも付け加えたいが、
我がワイフ「とんま」は、まさにその東北の「F原姓」出である。
<もしかしたらとんまは義経の末裔かも知れない、、>
ホノルル成田間で読んでいた本が、司馬遼太郎の「義経」。
健太はその本を読みながらそんなことを空想していた。

 昨日成田経由にてにセントレアに無事到着。
現在半田の兄貴の家に世話になっている。
たまたま兄嫁は東京へ、とんまも東京へ行ったので、半田の兄貴宅には健太達男兄弟2人だけ、、。
久し振りに会った2人の会話は弾んで終わることを知らなかった。
そんな話しの中で、
健太はふと、「とんまは義経末裔説」、、、、を兄貴に話した。
兄貴は笑いながら、
「ははは、確かにそんなこともあるかも知れないけど、人間1人一代、30年間としてみて、
仮にあの義経時代から今が30代目と考えて試算すると、何と100億人の義経の末裔が居ると考えられて、結局日本国中みんな同じ種、ってことになっちゃう、、、(笑)」
なる程、理論的にはそうなるかも知れない。
「でもそれって『ミトコンドリア・イブ』みたいな話でちっとも面白くない。夢がないよ!」
「何だ、お前はその年になってまだ『夢』なんて事云ってるのか?」

結局、
<お前は幾つになっても夢を捨てきれない哀れな奴、、、!>
兄貴はそんな目で健太をじっと見ていた、、、、(汗)。

写真は出発前のホノルル空港。そして日本に着く前のFクラスのスナック。スナックにしちゃ量が多すぎるよねー、、(汗)!

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January 08, 2008

日本行きは明日に変更、、、、

Imgp3890

 ハワイ時間1月8日、朝5時45分起床。
<さ、これから日本に行くんだ!>
健太が歯を磨いて支度をしていると、とんまが叫んだ!
「健太、大変よ!」
「ど、どうしたんだ?」
とんまはしきりにコンピューターを操作している。
モニターにはとんまの航空会社のサイトが映し出されていた。
「ロードが急に上がったの!」
「えっ!!」
健太は一瞬息を飲み込んでPCを覗き込んだ。
なるほどそこに表れている数字は、昨日見たそれとはまるで違って膨れ上がっていた。

 ファーストは10-10、ビジネスが45-45、エコノミーが198-196。そんな数字が出ている。
つまりファーストは10席あるうちの10人既に予約がはいっていて、ビジネスも45席中45の予約、わずかエコノミーのみ2席ほど空いているだけだ。
それがどう言う事かと言うと、成田行きはスタンドバイには2席しか空席がないと言う事。
スタンドバイの客はそのセニョリティー順に乗せて貰える。
とんまはもちろんU 航空ではベテランスッチー。
しかしスタンドバイ客中でとんまのセニョリティーがトップとは限らない。
先輩がいる可能性も大いにある。

 明日のロードは、と見てみると、
以前チェックした時よりかなり空席が出て来ている。
「明日にしようか、、」健太は疲れたように言った。
せっかく意気込んで朝早く起きたって言うのに、、、。
でも仕方がない、乗れずに空港から戻ってくるのも嫌だしね、、、。
ってな訳で日本行き、明日に延期になりました、、(笑)。

 写真は今日のアラモアナSCの駐車場から見たコンド群、「1350アラモアナ」「ハワイキ・タワー」「ホくア」などをを写した物。今日のホノルルはご覧のような快晴です!

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January 07, 2008

明日また日本に向かう健太、、

Imgp3883

 人の一生は短いものだ。
おのれの好まざることを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、
おのれの好むところを磨き、のばす、 
そのほうがはるかに大事だ。

 人は何時も自分をさまざまな意識でしばりあげている。
てらい、羞恥、道徳からの恐怖、それに、
自分を自分の好みに仕立て上げている自分なりの美徳感がそれだ。
それは容易に解けないし、むしろ、そのその捕縄のひと筋でも解けると、
自分のすべてが消えてしまうような恐怖心をもっている。

 健太の気になる言葉、2つでした、、(笑)!

 さていよいよ明日又日本へ向けて発つ。
「何もこの寒い時期に好き好んで日本へ来るなんて!何で今時来るの?」
なんて言う人もいるかもしれないけど、
今回は止むに止まれぬ事情での日本行きなんだ、、、。
でもさ、こうして書いてみるとブログは時としてなんとも不便なものだよね、、。
だってそう聞かれても人それぞれ答えられない事だってあるじゃん!
「じゃあ、日本に来るなんて書かなきゃ良いじゃん!」
て言うだろうけど、
こんなブログでも、それなりに読者もいる、
黙って10日間も休むわけにも行かない。

 ま、とにかく、半田市や名古屋、東京の街で健太とすれ違うかもしれません!
長髪の「どこか日本人と違う、日本人のおっさん」にあったら、それが健太です。
そんなやつを見かけたら、
「Hey, are you Kenta from Hawaii?」
って、声をかけてみてください、、(笑)!

 今日も日本でのドメステック・フライトのチケットを取りにホノルル空港ヘ向かった。
写真は空港のポストオフィスにて。
今日でホノルルも2日連続で晴れ。
快晴とまでは行かなかったけど、良い天気でした!

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January 06, 2008

ダウンタウンの福の湯銭湯、、?

Imgp3876

 今健太が読んでいる本の中に、ハワイの日本語新聞記者・本田緑川氏という人が書いたものがある。
題名が「閑人帖」。
本田緑川氏は1917年に「日刊ハワイ新報社」に入社、1921年に「ハワイ報知社」へ移籍。更に1959年からは自分の週刊誌「週刊タイムス」を5年間発行した人物だ。
今でこそ、純粋なハワイの日本語新聞は「ハワイ報知」一紙になってしまったが(日刊サン、日刊ゲンダイは日本の新聞と考えると)、当時は他島も加えるとかなりの数の日本語新聞が発行されていたようだ。
その「閑人帖」を読んでいると、かつての日本人一世の生活ぶりが手に取るように分る。それはどこか今の健太たちのハワイ生活と似てはいるかもしれないけど、実は全く違う物で、興味を持たずにはいられない。
今日は健太がその本田記者をここに呼んで、色々話を聞こうと思ってます、、(笑)!

 始めまして!
僕の名は本田緑川、実は緑川は俳号で本名は政亥(マサイ)とい言います。
熊本県紙益城軍甲佐町上早川出身。
1917年の現在私は25歳、「日刊ハワイ新報社」に入社したばかりの新米記者です。
今日こうして時空を越えて、健太さんの紹介でこのブログの場を借りて自己紹介出来るのは本当に光栄な事です。
でも「ブログ」って何んですか、、、(まいっか、、)。
健太さんの話によると皆さんの方では、何と今年は2008年ですってね!
驚きです、、、。

 さて今日は、パオハナの後(仕事が終わって)先輩記者に連れられ、ホテル街にある「都庵」ではオコレハオ(ハワイ産のウイスキー)をしこたま飲まされて泥酔!
お陰でその後に寄ったマウナケア街の日本料理店「いろは亭」では、せっかくの僕の大好物、味噌汁と小エビの天ぷらを食べそこねました、、(汗)。
あそこの味噌汁は最高です。国のお母さんの作ってくれる味噌汁とすっごくにてるんです!
先輩記者たちに編集長のこき下ろしを散々聞かされて、
やっと解放されヌアヌの下宿に帰ったのが11時過ぎ。
それから近くの「福の湯」って言う銭湯に夜風に当たりながら行ってんだけど、あの辺りには独身男性にとって非常に誘惑の多いところなんです、、、。綺麗なお姉さんたちが声を掛けてくるんだなあ、、(汗)。
ま、いずれれにせよ、明日は砂糖キビ畑の連中のストライキの模様を何としても記事にしなきゃならないんで、これ以上は夜更かしできません。
健太さんにもこの前お話しましたが、ハワイの耕地で働く連中の労働条件はあまりにも過酷で、見ていられないんです。
薄給と言われるハワイ新聞記者の僕でさえ、月給は35ドル。
彼等は22、3ドルしか貰えないんだ。
そんな状態じゃあストライキも最もだと言わざるを得ない、、、。

 しかし、今僕が一番心配しているのは、
アメリカの在米日本人対する姿勢、
それに伴うアメリカの日本国に対する異常なまでの警戒心、、、、。
事あるたびに、
「在米日本人はアメリカに同化しようとしない!
日本の習慣や文化をそのまま持ってきて一向に変えようとする気配がない!
それは本国日本という国の移民たちに対する教育怠慢によるもの!」なんて事を言う。
例えば、日本の親元へのへの送金とか、正月の風習とか、お祭りとか、盆踊りとか、、、。
でも、正月や盆踊りのない人生なんて僕には考えられない!
それにどうしてそれが日本国が、日本人移民に対して教育を怠っている事になるのさ!

 明日スト取材の後は、漁港ケワロ湾の漁師「タメトモ」さんのインタビュー。
あれほど去年まで「アク(かつお)」の大漁に沸いたケワロ湾も最近の不漁で火が消えたように静ずまり返っている。「タメトモ」さんには、ハワイ日本人漁師たちがこれからそうした問題をどう対処してゆくのかを聞いてみたい。
その帰りにはヤング街の「シアーズ」に寄ってスーツを買う予定。
来月早々行われるハワイ新聞記者懇談パーティーが「料亭・春潮楼」で行われるからだ。
今年の流行は3ツボタン!

 何はともあれ、僕は今、ハワイの新聞記者として何とか日本とアメリカが互いに誤解ないような友好関係を続けて欲しいと願っています。
健太さんの話では、24年後の1941年には日本とアメリカは、、、
ま、よしましょう。
今日はこの辺で!
また近いうちにおじゃますると思います。
日本の皆さん、お元気で。
アローハ!
 
 今日は久しぶりにとても良い天気でした。とんまと空港に行って、明後日日本で乗るドメスティック・フライトのチケットを作ってきました。そう!健太ととんま又明後日日本へ旅立ちます。
写真は今日の空港にて、、、。この看板が皆を待っていますよー、、、(笑)!


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January 05, 2008

消えた文章、、、、

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 今日は土曜日で、ムービーマンとの映画の日。
早めに健太をアップしようとさっきから長い文章を書いていた。
ところがこのPC、何を勘違いしたのか、勝手に今まで書いた文章を全部消しちゃった!
以前にも時々そんなことがあったけど、
今日は泣くに泣けなかった。
だって、かなり入れ込んで書いていた文章50行以上が、ばっさり、あっという間に消えちゃったんだ!
こんなときの無力感、きっと皆の中でも経験したことがある人が沢山いると思うけど、
怒りを何処にぶつけるとも出来なくて、ただただ血圧が上がるばかり、、、。

 これがペンで紙に書いているなら、まずこんなことはありえない。
コンピューターもこの辺のところがうまく解決できるようなものになって欲しいと、
今日ほど願ったことはない。

 同じ内容を書く気になれるかどうか分かんないけど、明日何とかもう一度がんばって書き直してみる積りです、、、(涙)。

 写真はカイルアのジャック・インザ・ボックス。この店はとりわけハワイらしいジャック・インザ・ボックスだと思うな、、、、ね照見さん、、、(笑)!


 


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January 04, 2008

ハワイ日本人史

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 今健太はハワイの日本人史を少し勉強している。
こうして今、多くの日本人観光客がハワイにこれるのもやはり過去における日本人移民たちの功績も大いにあるだろうし、
また健太がこうしてハワイにいられるのも彼らの努力と無関係ではいられないと思うからだ。

 ハワイの日本人移民は「サトウキビ畑」から始まった。
彼らの多くは一日10時間働いて、たったの77セントの日給しかもらえなかったと言う。
こうしたことを背景に、当然彼らは賃上げを「ハワイ砂糖耕主組合」と交渉した。
ちなみに当時のアメリカ本土のシアトル港湾労働者の一日5ドル25セント、
サンフランシスコ沖合労働者の8ドル80セントと比較すると、
如何に低賃金に泣かされていたかが分かる。
なぜそんなことを今日は書いているかと言うと、
当時のハワイの日本語でいささか品位に欠けるけど、面白い言葉を見つけたからだ!

 賃上げ交渉などでいざこざが起きると、
雇用主側に労働者側から垂れ込む奴がかならず出てきたそうだ、、。
そう言った裏切り者たちを、
「オxンタマ・メン」と呼んだそうだ、、。
当時ハワイにも相撲があって、
下っ端力士が上位力士に取り入るため、
下半身まで洗ったことから由来するらしい。
笑うに笑えない話かも知れない、、、、 。

 今日は比較的良い天気だったけど、まだまだ本格的なハワイの天気は程遠い、、、。
写真は日本人移民も沢山働いていた、オアフ島北西部のワイアルア・プランテーション。
現在はもちろん閉鎖されていて、小さな土産物屋が細々と営業しているのみだった、、、。

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January 03, 2008

健太を探し出せ!

Honolulu
 
 昨日の続き、、、。 
 
 Tが初めてハワイに来たのはもう30年近く前のことだった。
しかし「H」旅行社に勤めていた関係上、その後もハワイとは切っても切れない間柄になっていた。
始めてハワイに長期滞在したのは、正月の多忙を極めるホノルル支店のヘルプ要員として送り込まれた時だった。
それすらもう25,6年も前のことになるだろか、、。
添乗員としても一体何度ハワイに来たことだろう。
すこぶる快適な気候、底抜けに明るいハワイの太陽はTの心を捉えてはなさなかった。
<いつの日か、このハワイに住んでみたい!>
Tは心の中で密かにそう思っていた。

 時の経つのは早いもので、あれから20年、
職場結婚で子宝にも恵まれて幸せな家庭を築いていたTだった。
また職場ではH旅行社の中堅幹部社員として活躍していた。
「えっ、わ、私がですか?」
ある日上司から呼ばれて渡された辞令には、
Tがハワイの支店長として赴任するよう記されていたのだ!

 喜び勇んでハワイに向かったTだったが、Tがホノルルの支店長として赴任したころは、
すでにハワイの日本人観光のピークは過ぎていた。
それでも相当数の客をさばいた。
中でもアメリカの同時多発テロ911の直後、
激減して行く日本人観光客を、考えられる全ての手を打って何とか支えようと必死になったのは、
まだ記憶に新しい。
5年間の支店長生活もあっという間に過ぎ去った。
<自分が日本に帰るのは良い、しかし子供たちをどうしよう、、 >
現地の教育を受けていた子供たちのことが心配だった。
<何とかハワイに留まりたい、、>
その思いは日に日に募るばかりだった。

 Tは日本に帰国した。
帰国後、H旅行社のハワイの企画を担当させられていた。
しかしそれだけにいつも、あの眩いばかりの太陽、肌を微かに過ぎてゆく快適なそよ風、
どこまでも深く青い空、満員電車のないハワイ、、、。
そればかりが脳裏から離れなかった。
そんなある日、某社でハワイの支店長を探していると言う情報が入った。
その会社は旅行会社ではなかったが、この際職種など選んでいられない。
なんとしてもその仕事に着きたかった!

 案ずるより産むが安し。人間、願い続ければ必ず叶うものだとこの時思った。
こうしてTは今、某社の支店長として再びホノルルの住民となった。
しかしハワイの状況も日に日に変わってゆく。
そうした新しい情報は最近比較的たやすく手に入れることができる。
インターネット、ブログだ!
ブログはそのライターによって多少は色がつく傾向は否めない。
しかし単なる情報収集やある種のエンターテインメントとしては、立派に利用できる。

 「健太のワイキキだよ、おっかさん!」
Tはそのブログにどこからかたどり着いた。
いや正確には以前H旅行社のホノルル支店長時代にも、
何回か閲覧した記憶があった。
ブログは勝手気ままな健太という男のハワイ生活を書き綴った平凡なものだが、
よく飽きもせず、ほとんど毎日更新されていた。
何回か読むうちにふとある疑問が浮かび上がってきた。
<待てよ!このライターはもしかして、、、!>
ブログ内容から行くと、間違いなくこの健太と言う男、自分のコンドの近くに住んでいる!
時々健太という男のコンドから撮ったと思われる写真は、みなTにとって馴染み深い景色ばかり、、。

 ある日そのブログを読んでいくうちに、ふと健太と言う男の姿を垣間見た気がした。
まず、健太はニッサン・クエストに乗っている。
そして、とんまとか言うワイフはフライトアテンダントで、彼女がフライトから帰ってくる時は、その健太の車「ニッサン・クエスト」を路上駐車しているらしい。
<そうか!そのクエストが止めてあるところをこの近所で探せば、健太が捕まるかもしれない!>
Tがそのクエストを見つけ出すには大した手間はかからなかった。
自分の通勤途中の道路に、その健太のものと思われるクエストは止まっていたのだ!
自分のコンドからせいぜい200メートルほどのところだ!
Tの推理は更に続く、、。
ハワイに関って30年、ハワイに多くの知り合いがいる。
更に詳しく健太のブログを遡って読んでみると、ホテルのセールマンをしていたらしい。
ホテルの仕入れはTがH旅行社の支店長時代一括してやっていた。
<も、もしかしてこの健太は、元Rホテルの、、、?!>

 2008年の正月3日。
Tは今年の正月を日本で過ごして、2日にハワイに戻った。
日本のみやげ物を知り合いに配って、帰宅しようと愛車「ニッサン・アルティマ」のハンドルを自宅に向かって握った時、すでに日が暮れかけていた。
Tはアルティマのライトを点灯した。
アルティマが自宅にさしかかった時、アルティマのライトに照らされて一台のニッサン・クエストが前方を走るのが見えた。
<あっ、あれは!もしかしたら健太かもしれないぞ!>
ニッサン・クエストはするすると先の駐車場に入っていった!

 Tも後を追うようにその駐車場にアルティマを入れた。
止まったニッサン・クエストからカップルが降りてきた。
Tも車を止めてドアを開けて降りた。
アルティマのライトが二人を照らし出している。
「健太さん?」
「???」
「あ、やっぱり健太さんだ!」

 今日のホノルルは降ったり止んだり、、。写真は、やっと見えた晴れ間を狙ってパシャリ!

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January 02, 2008

コンプ・USA、おまえもか、、、

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 デスク・トップの調子が相変わらずおかしい、、。
めちゃスローなんだ、、。
そこでもうデスク・トップを文章作成くらいにしておいて、
インターネットは健太ととんまのラップトップを使おうって事で、
夕方無線ルーターをコンプ・USAに買いに行った。
もっと前からそうすべきだったんだけど、なんだかんだ遅くなっちゃた、、。

 コンプ・USAはご存知の方も多いと思うけど、
アラモアナ・ブルバードを空港方向に行ってダウンタウン少し手前の右側にある。
健太の愛車「ニッサン・クエスト」をコンプ・USAの駐車場に停めて店内に入った健太ととんま、
店内をぐるぐる廻るうち、その店内の雰囲気が何時もと違う事に気がついた。
何から何まで「セール、セール、セール!!」
目的の無線ルターもセールで15%のオフだって!
物に寄っては30%オフなんて物もある。

「何だか、おかしいね?」
とんま言った。
「うん、なんだか変だよ、、、」
って言うのはセールが多いだけじゃない、店内の商品がかなり少ないのさ、、、。
「アッ!あれを見てご覧健太!」
小さく叫んだとんまの声にその指差す方を見て健太も思わず声を上げた!
「えっ、本当かよ!」

 店内の天井からぶら下がるバナー(垂れ幕)に、
「Store closing sale!(店閉まいセール)」
って書いてあるじゃないか!
驚いてそばの店員を捕まえて聞いてみる健太。
店員は両肩をつぼめて、手の平を上に向けて、
「Oh yes, probabaly we are closing end of this month、due to slow business.」

 あれほど何時も忙しそうに混み合っていたコンプ・USAだったのに何故!
丁度セールになっている無線ルーターの代金を払いながら、
複雑な思いが健太の心の中を交差していた。
ハワイのPC関係では何と言ってもこの「コンプ・USA」がトップを走っていた。
というより「コンプ・USA」しかなかった。
なのに、ビジネスが良くないから閉店だなんて!信じられない!
とんまがボソッと言った。
「まーね、最近じゃ安いPCはサムスやコスコで幾らでも買えるからね、、、」
「そう言えばそうだ、、、。テレビとかビデオもあっちの方がずっと安く買える。それに新興勢力の『ベスト・バイ』の進出も彼等の足をひっぱってるよなー、、、」

 冬場のハワイの日の暮れるのは早い。
自宅の駐車場に着くころにはすっかり暗くなっていて、
健太のニッサン・クエストはライトを点灯していた。
駐車場に車を止めでエレベーターに向おうとしたら、
一台の乗用車、ニッサン・アルティマが駐車場に入ってきてドアが開いた。
その車はライトを点けているので、降りてきた人の顔は良く見えない。
眩しいライトを手の平で避けながらエレベーターに向おうとする健太ととんま。
とその時、ニッサン・アルティマのドライバーが声を掛けてきた!
「健太さん?」
「???」
「あ、やっぱり健太さんだ!」
ライトの光の中から一人の男の顔が浮かんだ!

 明日に続く、、、。

 写真は今日のワイキキ。
免税店の前、ロイヤル・ハワイアン通りの進入禁止サインと青空。やっぱりワイキキは青空が似合う、、(笑)!


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January 01, 2008

ハワイの新年が爆竹で始まった!

Photoこの写真をクリックする事は良いことだよ、、(笑)!

 明けましておめでとうございます!
ハワイの元旦は曇りがちだけど、晴れ間もある。
ま、ずっと曇りや雨が続いてたことを考えると、良い正月を迎えたと言えそうだ。

 さて昨夜の健太たちのショー、
お陰さまで大盛況!
会場は1000人入る大きなとある大ホテルの宴会場。
満員御礼のうちに幕は開いた!
健太たちにとってラッキーだったのはその半数が日本人の年配の方々。
健太たちの歌う歌の殆どを客席にいながら皆さん口ずさんでくれた!
宴もたけなわ、健太たちの往年のヒット曲「Yあるもの」の後では、
はちきれんばかりの拍手を頂いた。
中でも「阿久悠さん」作詞、健太の作曲した、「Sなんて」の演奏が終わると、
会場は大喝采!
今さらながら「阿久悠さん」の偉大さを知らされた、、。
お陰さまで2007年の締めくくりとして、最高の時間を過ごす事が出来ました!

 ショーが終わって早速「ハワイ・出雲大社」へ初詣に出かけた健太ととんま。
12時をあまりすぎると人出が多くなるので早めに出かけた。
街中が新年の爆竹花火で煙の中。
しかし今年は例年より少し穏かな感じ、、、。
この花火はハワイの伝統なので、
大気汚染と分っていても政府としてはなかなか取り締まる事が出来なようだ。
アロハ・タワーでは打ち上げ花火も上がっていた、、、。

 2008年が皆さんにとって、素晴らしい年になりますよう、
心からお祈り申し上げます。
今年も宜しくお願いします!

 写真は正月なので、「これぞハワイ!」って言う景色の一つを見てもらってます。
ハワイの元旦をなん枚も撮ってみたけど、
晴れ間は時々出るけどやっぱり曇がちなのでハワイらしい写真にはイマイチでした、、、(汗)。


 

 

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