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September 27, 2014

悲劇のヒロイン、プリンセス・カイウ ラニ!

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幼少の頃のプリンセス・カイウラニ!
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1850年代のダウンタウン、キングストリート。右上に見えるのがカワイハオ教会だ。もちろん現存のイオラニ宮殿はまだない。
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1890年、ダイアモンドヘッド頂上からのワイキキ。楕円形の広場が当時乗馬に使われていたカピオラニ・パーク。
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1880年のダウンタウン、フォート・ストリート。
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1800年代後半の日本人移民たち。彼らは鍋釜を持って日本からやってきた。
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1890年のパンチボール。
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ダウンタウンのカウマカピリ教会、1888年。
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1900年、ペスト焼き払いの火事で変わり果ててしまったそのカウマカピリ教会。当時ダウンタウンが火の海となったのだ!
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1910年、キングストリートにあったオペラ・ハウス。
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ダイアモンドヘッドのカハラ寄りのブラック・ポイント。向こうに見えるのがダイアモンドヘッドだ!
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1920年、パリ・ルックアウト!1900年までは皆歩いてここまで行ったのだ。
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1922年の日系女性、綺麗どころ!
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1920年代後半のワイキキ・ビーチ。
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1930年代のダウンタウンにあった日本人経営の山城旅館。
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1941年、日系人母娘。
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1941年のダウンタウン、日本映画館。
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1930年代後半にワイキキの路面電車が廃止されて、このトロリーバスが取って代わった!
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日本軍に奇襲される1年前、1940年のパール・ハーバー。中央の島はフォード・アイランドだ。
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さっき山沿いに出た虹。右に小さく見える椰子の木2本がタンタラスだ!


冒頭の写真、プリンセス・カイウラニの話である。

彼女の母親はカラカウア大王の妹のプリンセス・リケリケ、
父親はスコットランド人のアーチ・クレグホーンで、いわゆるハパ(ハーフ)である。
カイウラニは、母親が身ごもると同時に「ハナイ」というハワイのしきたりで、
子供のいないカラカウア王の養女になると約束していたため、
プリンセスとしてこの世に生を受けた。
「ハナイ」とはハワイ独特の子育て風習で、
自分の子供を養子に出して他人の子供をもらって育てるというものである。
ちなみにカイウラニとは「高貴で神性なるひと」という意味である。

当時のハワイ王国は決して平穏ではなく、
王位をめぐってそれなりの内輪もめがあった。
カラカウア王朝ではプリンセス・カイウラニの生まれるまでの1年間、
暴動が絶えなかったのだ。
カラカウアが即位すると内乱鎮圧のために、
王は停泊中のアメリカ・イギリス両軍に出動を要請しなければならなかった。
表面上、
カメハメハ4世夫人クウィーン・エマはカラカウアを国王として承認すると発表したものの、
二人の間にはわだかまりが残った。
両陣営ともカフナ(呪術師)を使って相手を倒す呪術を使っていたのだ。
のちにエマが病死したことによって、
ハワイの人たちはカラカウア側のカフナの勝利だと噂した。

そうした状況下、
いずれはハワイの女王となる定めの「カイウラニ」は、
世に出ても恥じない教養を身につけるために1889年、
イギリスへ留学する。
しかし留学中ハワイでは様々な問題が起こって、
ハワイのアメリカ併合への機運が高まっていった。
理由の一つはアメリカの日本に対する脅威だった。
アメリカ議会は、
日清戦争に勝利した日本がやがてハワイをも手中に収めるのではないだろうか、
日系人口の多い独立国ハワイを日本に奪われるのではないか、
と危惧し始めたのだ。
またその間、
プリンセス・カイウラニと日本の皇族・山階親王殿下との縁談話も持ち上がっている。
予定は大幅に伸びた彼女の留学だったが1897年、ようやく終止符が打たれた。
帰国してみるとリリオカラニ女王が失脚させられるなど、
ハワイの状況は大きく変わってしまっていた。
そんな中、1898年8月12日、
遂にハワイのアメリカ併合の式典が行われた。
失意のどん底でカイウラニはハワイ島に向かった。
自分を擁護してくれるハワイ人の力になれなかった、、、。
遂にカイウラニは精神的なダメージのため肺炎を患い、
炎症リウマチを引き起こして眼球突発性甲状腺腫を併発してしまった。

1899年3月6日午後2時、
カイウラニは23歳と5か月と言う若さでこの世を去った。

資料:文芸社「白い孔雀」、よしだみどり著
ブログ友の「白い孔雀」さんへ感謝!

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September 24, 2014

日本の風呂って良いね!

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ホノルル・カントリー・クラブ(HCC)4番ホール、148ヤード・パー3。
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同じくHCC、5番ホール339ヤード、パー4。
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同じくHCC1番ホール371ヤード、パー4。とんま、コックが解けちゃったね!
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HCCの練習バンカーと、パッティンググリーン!
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アラモアナ・ショッピング・センターのマカイサイド!
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メーシーズ。あっ、撮らないでください!
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フォーエバー21。返品は21日以内だそうです。フォーエバーじゃないんだ~、、、。
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店内の模様、、。
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シアーズの後の建設中の新しいビル。鉄骨がうねってるけど大丈夫かなあ、、。
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まだまだ出来そうもない。
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遅めのランチは白木屋の弁当。とんまはウナギ弁当10ドル95セント、健太は鮭弁当6ドル25セント。切り干し大根、美味いよね!
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そしてダウンタウンへ。マウナケアー・マーケット・プレイス!
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マウナケア街!
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我々の読み方だと「マナキア街」、、だよね、、、。
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マウナケアー・マーケット・プレイスの向かいの生鮮野菜店街。
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ホテルストリートの、JOS. P. MENDONCA ビルディング!
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なんと100年以上前に建ったビルなんだね!
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この辺は古いビルが軒を連ねている。
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ダウンタウンのパーキングも、市営を探せば安いところが結構ある。
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そうそう、フィリピンのビール、サン・ミギュエル飲んでみました。美味い!


ハワイの写真を載せるなら青い空白い雲、そして青い海が良いんだけど、
ハワイのグリーンもなかなか綺麗です。
そこでゴルフをやらない人もそのハワイの緑も楽しんでいただこうと、
こうして時々ゴルフ・コースの写真も載せています。

長い間ハワイに住んでいると、
時々外人に(ここでは日本人が外人なんだけど、、汗)日本の文化について聞かれることがある。
この前、
日本の「風呂」について「どんなものなの」って聞かれて、
結局以下の通り説明してみました。
実はこの英文はいつだったか何かで読んで、
覚えていたものなんですがね、、(笑)。


Furo is Japanese bathtub.
The bathtub is deep and square. Water is used very hot.
People wash up outside the tub and then clim in for a warm,
reluxing soak.
The guest is given the first bath.
Family members soak by turn in the same water.

風呂とはアメリカで言うバスタブのことで、
浴槽は深め、お湯にじっくり浸かって体を温めて疲れを取ります。
体を洗うときは浴槽から出て洗います。
お客様に先に入っていただいて、そのあとに家族が順番に入ります。

って感じかな、、、、。
やっぱり日本の風呂って良いね。本当に疲れが取れる!

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September 20, 2014

ハワイの花々!

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イエロー・オリアンダー(Yellow Oreander)。
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蓮の花。今が盛りなのか、HCCの池に満開だ!
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白いプルメリア!
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ピンクのプルメリア。
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薄いピンクのブーゲンビリア。なんと可憐な花だ!
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紫に近いピンクのブーゲンビリア。
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イエロー・ハイビスカス。
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Wedilia (アメリカ・ハグルマ)。
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バードオブ・パラダイス。
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ジャカランダ!
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Golden Tree(金の木)。これをゴールデン・シャワーツリーと勘違いしてる人が多い!
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ピンク・シャワー・ツリー。
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レインボー・シャワー・ツリー。
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ピンク・ジンジャー。
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ロイヤル・ポインシアナ。
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これも色違いのロイヤル・ポインシアナのようです!
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Golden Dewdrop(ゴールデン・デユードロップ)。
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Madagascar periwinkle(ニチニチソウ)。
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オーキッド!
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メキシカン・クリッパー(チェイン・オブ・ラブ)。
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パウダー・パフ。
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Jotropha integerrima(ナンヨウ・サクラ)。
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花図鑑で見たところ、おそらくコーン・フラワーだと思います、、。
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いつの間にか、ハワイの花図鑑がこんなに増えちゃった、、。


600種類くらい出ているアメリカの花図鑑にも載っていない花がある。
ハワイは恐らく特殊な気候なので、
突然変異や交配が続いておそらく他では類を見ないものが存在しているに違いない。
似たような花は載っていても、
よく見ると違ったり。
「あれ、この花が載っていないなあ、、」
なんて思って次々に名前を知りたくて本を買っているうちに、
ご覧いただいているように花の本が増えちゃった。

花の本だからこの程度で済んでいるけど、
ハワイに関する本は山のようにある。
かなりいい加減な情報もこのブログに載せちゃうこともあるので、
なるべくそんなことがないようにと、
いつの間にかハワイの本が健太のベットルームに山積み、
とんまに叱られないようにその他にもあちこち隠してある、、(汗)。

本も最近は高いのでその出費はでかい。
特に写真入りの本がほしいので高いものは100ドル近いものもある。
そこで何とかCDを少しでも買ってもらって、そういう方に充てたいと思っているけど、
残念ながら健太の CDは全く売れていないで、大赤字なのだ、、、(涙)。

アラモアナ・ショッピングセンターの白木屋ブックオフの本売り場(CD 売り場ではない)で売っていますので、
ぜひハワイに来たらお求めくださ~い。
今日は健太のCDの宣伝でした、、(笑)!

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September 17, 2014

ブツブツ、、、

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虹が出ました~!なんて言ってもハワイじゃ珍しくないね、、(汗)。
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今日はマノアへ!
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マノアはホノルルの中でも一寸趣の違った町だ。左のグリーンがスタバ!
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緑が多くて素敵な街だけど、雨が多いのが欠点かな、、、。
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帰りにここへ寄ったけど、名前が2年前「ホノルル・アカデミー・オブ・アーツ」から「ホノルル・ミュージアム・オブ・アーツ」に変わってます。
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1980年頃、ホノルル・アカデミー・オブ・アーツの前に立つ健太。
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こっちはベルタニア通りを挟んだ道路の反対側。
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その庭にあった芸術作品!


ご覧いただいている美術館は、
1922年のアメリカ・ハワイ領時代に美術館の認可を得て、
1927年4月8日に「ホノルル・アカデミー・オブ・アーツ」として開館した90年も歴史のある美術館だ。
それが2年前「ホノルル・ミュージアム・オブ・アーツ」に変わった!

東京の街も健太がの子供のころから全く違う名前に変えた場所が結構ある。
古い話で申し訳ないけど、
井の頭線の「一高前」、京浜急行の「学校裏」。
そんな名前だった駅が、
今なんていう名前になっているか知っていますか?

せっかく歴史ある素晴らしい名前があるのに、
とんでもない名前の町になってしまったところが日本国中一体いくつあるやら。
どうせ新しい名前にするならもう少し考えて命名してほしい。
一昔前に流行った、「XXヶ丘」とか「OOタウン、「△△プラザ」、、、。
いったいどこの国の町なのか、、、。
名前を付けた人のセンスが疑われる。

その点「ホノルル・ミューージアム・オブ・アーツ」は多少受け入れやすかったけど、
前のままでもよ良かったんじゃないのかなあ、、、。
ブツブツ、、。

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September 13, 2014

想像力がモリモリ!

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アート・ブレーキー。
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今日のSS 。想像力がモリモリ!!
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今日のランチは、カフェカイラの隣のフォー・キッチンでフォーのコンビネーション!
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相変わらず列ができてた。待ち時間がなければ食べてみようと思ったけど、30分は待ちそうなのですんなりお隣りの「フォー・キッチン」へ!

 CDを整理していたら懐かしいCD が出てきた。
そう、トップの写真の「アートブレーキー」だ!
健太が俳優になろうと養成所に通っていた時、
渋谷の百軒店(ひゃっけんだな)の喫茶店・ノーブルでアルバイトをしていたことがあった。
あの頃俳優を目指していた者たちは皆そんなアルバイトをしていたっけ、、、。

 そのノーブルにはDJがいて曲を案内しながら当時のヒット曲を掛けていた。
確か1960年代初めだ。
その時一日に何度も掛かっていたのが、この「アート・ブレーキー」の「モーニン」!
まるで朝から晩まで掛かっていたような記憶がある。
若い頃に聞いた音楽は脳裏に鮮烈に残っていて、
この「モーニン」はテーマからアドリブの一部まで今でもしっかり覚えている。
今日久ぶりに聞いてその一向に古くないサウンドにはびっくりした。
新鮮なのだ!

 してぇ、写真を一旦色々載せたけど、
どれもこれも今日の健太の気分に合わないのだ。
モーニンとハワイ、
なんかチグハグなんだよね、、、(汗)。
そこで今日は思い切って写真の数を減らしました。
ただし、SSはジャズにめちゃマッチします(笑)!

 ジャズ演奏って良いねえ!
ビートルズも良いけど、ジャズ演奏に比べると歌がある分、
自分の想像力が半分くらいしか働かない。
何か考え事をしたい時、
古いジャズを聞いてみてはいかがですか?
想像力がモリモリ沸いてきます、、(笑)!


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September 10, 2014

男はつらいよ!

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マーケット・シティー・ショッピング・センター!どこにあるか知ってる?
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カフェ・カイラ。この店に日本人の列ができてた!
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列を作っていたお嬢さんに聞いてみると、東京にもあるそうですね。
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なんと舞浜にもできたみたいです!
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でも健太は2、3軒隣のここでランチ!この店、以前は角にあったけど引っ越しました。
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ここのメインは「ダック」だけど、いろんなおかずが選べる。
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頂いたのは「シュリンプ・ヌードル・スープ」。味は最高!スープ麺がメニューになかったのでスペシャルオーダーしました。値段は10ドル10セント+チップ!
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帰り道のカピオラニ通り。
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またハワイの「赤とんぼ」を見つけた!
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Pacific Golden Plover Fall juvenil。ハワイ鳥類図鑑より。長い名前だな~、、。

健太もこの年になるまで、いろんなことをやってきたけど、
どこにも邪魔をするやつがいるものだ。

男には7人の敵がいる!
なんてことを昔からよく聞く。
寅さんじゃないけど、「男はつらいよ」ね~!

だけどこんな法則を、ある本で見つけた。
書いたのは作家の井上ひさしさん。
「この法則はなかなかあてになる!」とおっしゃっている。

人が10人いると、
そのうち2人は味方、2人が敵そして6人は中間派でどっちへも動く。
例えば何かの会議に出席する。
集まった者のうち最初から2割はこっちの見方で、贔屓すじ。
そして2割はどこまでも敵、お世辞を使おうと、
どう非理を弁じようともこちらの見方になってくれない。
残りはどっちつかずの中間派、
そこでこの中間派をこちらに引き寄せるように力をつ尽くせばよい。
とにかくどこであれ、どんな時であれ、
見方が2割はいてくれる。
男はつらいけど、どんな時でも2割は味方になってくれる!
そう思えば気がずっと楽になる。

因みに、マーケット・シティー・ショッピング・センターはカパフル通りを山側に行って高速を潜らず左に曲がった左側。スーパーのフードランドが目印。又はカピオラニ通りをダイアモンドヘッド方向に行って、キング・ストリートとぶつかった右側です。高速の橋げたの右。

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September 06, 2014

ハワイ日本人移民史

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ハワイ日本人移民慰霊碑にお参りしてきた。
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明治元年渡航者の碑。
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碑の説明文。
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1927年、記念碑建立式典。
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記念式典に集まった一部の元年者。
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三界万霊(さんかいばんれい)の碑。自分の身内だけなく、自らとは関係がない他人の霊(餓鬼)を広く慰め、その供養を行うことを目標としている碑。
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日本海軍鎮魂の碑。
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マキキ日本人墓地。
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一昨日はオキュパンチャーへ、、、
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昨日はカイロプラクティクへ行ってきた。
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ワイオラ・シェーブ・アイス。カパフル通りを山側に行ってモキハナ・ストリートを右折、すぐ右側!
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食べたのはアズキ・カップ。美味かった~!


何度かここで説明しているけど、
1868年明治元年、
サイオト号と言うイギリス船で150人ばかりの日本人が移民としてハワイにやって来た。
ハワイではその150人を称して「元年者」と呼んでいる。
その元年者こそ、
日本人がハワイに住むようになった最初のきっかけを作った方々だ。
もっともそれ以前に意外と多くの日本人が漂流してハワイにたどり着いている。

1285年(後深草天皇の正嘉2年)、
オアフ島マカプー・ポイントに日本船と思われる形の船が2度漂流したと伝えられている。
また1270年(文永7年、北条時宗時代)には、マウイ島のカフルイ港に「ママラ」と言う船が漂着した。
これに乗っていた船頭「カルイキアマン」(軽井喜衛門)ら男3名女2名は皮膚の色が、
たいして黒くなく皆剣を持っていた。
これが後に土人と雑婚して色の黒くない種族の祖先となった。
ハワイアンの色が黒くない連中はこの系列と思われる。
しかしこれはあくまでも言い伝えの域を出ない。

日本の記録に現れる最初のハワイ到着者は、
1804年(光格天皇の文化元年)ロシア軍艦ナデジダ号に便乗して、
日本へ帰還する途中立ち寄った仙台領寒風沢浜の水主太夫ら一行4名である。
このころからハワイにおける記録は明確になってきて、
明治元年に至るまで100名を超える漂流者があった。
1841年土佐の国・万次郎一行は漁に出て時化に会い無人島に漂着、
アメリカの捕鯨船に救われてハワイに寄港、のちにアメリカに渡る。
一方1850年栄力丸の乗組員として漂流した彦蔵はアメリカの汽船に救われ、
アメリカ帰化日本人第一号となった。
彼も香港経由で送還される途中ハワイのヒロに寄港している。

さらに1859年(安政6年)江戸の芸者・津之国屋小染が漂流中助けられハワイに着いた。
彼女はアメリカ宣教師に伴われアメリカに渡りその地で一生をおえた。
また鹿児島の漁師の娘「お春」がアメリカに流れ着いて英語を学び、
日本へ帰ってからは「通弁お春」として徳川幕府に貢献したという記録がある。

さて、健太はと言うと、
1967年(昭和42年)12月24日のクリスマスイブにハワイにJALでやってきて、
大して上手くもないギターを騒がしくかき鳴らし、
沢山の雑音をハワイにばら撒いて、
一向に上手くなれないゴルフばっかりやって、
一生を終えました、、
なんてことにならないように今も頑張ってます、、(笑)!


一部、「ハワイ日本人移民史」より。

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September 03, 2014

地球の未来!

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ブロック注射のドクター・ポートナーがダウンタウンに引っ越したのでそっちへ行きました。写真はその窓からの景色。注射はしなかったけどね!
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これは古いオフィスからの景色。景色としては古いオフィスのほうが良かったかな、、。
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ここへ寄ってゴルフシャツを一枚ゲット!
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お澄まし屋さんのハワイアン・スティルト。
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HCC3番ホール、354ヤードパー4。
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HCC 16番ホール、383ヤードパー4。!
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同じく17番ホール・グリーン。向こうに見えるのがトリプラー・ホスピタル。
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そして池のずっと向こうに18番のグリーン!
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とんまの8番パー3のティーショット、かっこいいね。先生が良いからね、、(笑)!
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最近ハワイでカブトムシが大発生、椰子の木を食い荒らすのでこうしたトラップがあちこちにある。これも異常気象のなせる業かもしれない、、。
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ダウンタウンのデリングハム・トランスポーテションビル。右側二階は元FBI ハワイ支局で、ここからかつて日本のスパイ等を追っていた。このビルの右はもうホノルル港、アロハタワーも目の前だ。
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その近くのマーチャント・ストリート。

もう9月だと言うのに蒸し暑い!
夜も時々寝苦しい時がある。
窓を開けておけばいいけど、そのまま寝ちゃうと風邪を引きそうだし、、、。

練馬の豪雨は汐留の開発にあったとこの前どなたかがコメントをくださった。
ハワイのこの暑さはおそらく、
カカアコの新コンド群によるものに違いない。
あの高層コンドで、
海の風は遮られるし、
山の風が流れて行かない。
風が抜けないので熱気が街中に停滞して、
昼も夜も熱い。
ごく簡単な理屈だよね。

それにしても広島の豪雨にしても、世界的な異常気象にしても、
何かに原因があるはずだ。
健太の恣意的な意見を言わせて頂けば、
おそらく近年の中国の建築物や大気汚染が関係しているんだと思う。

何かのSF 映画で見たけど、
未来、
人間の住宅はすべて地下に移されいて、
地上はすべて美しい大自然で覆われていた。

あああ、
そんな未来を見てみたいなあ。
またもやかなわぬ夢でした、、、(笑)。


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