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July 29, 2015

黒船から真珠湾攻撃まで No. 3

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街角風景。アラモアナ通り、カカアコ周辺。
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今日の波は2~4フィート!
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良い波のわりにサーファーが少なかったね、、。
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今日の「ドカ~ン」!
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さあ、そろそろ行こうか、、。
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アラモアナ・ビーチって時々素敵な貝殻が落ちてるのよ!
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あらイヤダッ!
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たまにはイケメンをどうぞ~!
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確かにブラを外したほうが気持ちいいだろうね、、。
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アラモアナ・ビーチに来たらやっぱりこの景色は撮りたい!
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今日はパリで水曜ゴルフ会!
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今日もすっかり慣れた豚君たちから大歓迎されました、、(笑)!
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雨の多いパリ・ゴルフ・コースだけど今日は最高の天気だった。
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コウラウ山脈が美しい!
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タメのきいたケニー君のドライバーショット!しかし今日は肩の痛かった健太が頑張って86点、優勝でした。向こうのほうに見えるのがクアロア辺りだ。

さて今日も前回の続きで、
健太の小説の中から一部を紹介したい。


1940年8月17日、
ロンドン郊外のアパートの1室で1人の男が死んだ。
不可解な死に方ではあったが警察は解剖をせず、病死として片付けた。
男の名前は「ヘクター・バイウォーター」。
ヘクター・バイウォーターは軍事評論家で、
日米の緊迫する情勢から両国の軍事情報を徹底して分析していた。
その結果いずれ日米間で一戦があると予想、
そのシュミレーション・ストーリーを数冊著わしている。

そうしたヘクター・バイウォーターの日本の軍事情報源は、
ロイター通信東京支局の記者メルヴィル・コックスだったが、
実はそのメルヴィル・コックスがヘクターの死ぬ19日前、
憲兵隊司令部の三階の窓から飛び下りて自殺した。
スパイ容疑で取り調べ中の出来事だった。
遺体を引き取ったメルビルの家族の話では、
メルビルの体にはたくさんの注射針の跡があったと言う。
どう考えてもそれは自殺を装った他殺としか考えられないとの家族の話だった。

ここで一つの仮説が生まれる。
この2人の存在が日本軍にとって何か不都合なことがあって、
憲兵たちによって葬り去られたのではないか、、、。

当時ヘクター・バイウォーターはすでに日本に於いても超一流の軍事ジャーナリストとして評価されていた。
1921年に就筆された「太平洋の海軍力」は、
「太平洋海権論」と言う邦題で日本でも出版され、
海軍将校に幅広く配布された。
その後海軍兵学校や海軍大学に於いて学生の必読書にも指定されている。

この「太平洋海権論」が日本海軍の面々を奮い立たせた最大の要因は、
日本の勝利を約束するスリルにあふれる作戦がそこに具体的に提示されていたことにある。
スピーディーかつアグレッシブに南方侵攻を繰り返すことで、
日本は太平洋に於いて広大な帝国を築く事が出来ると主張しているのだ。
一方、「1931年から1932年までの日米軍事行動の歴史」と言う副題のついた第二作「太平洋大戦争」は、
更に評価の高いものとなった。
小説の体裁は取っているもののもし日米戦わばこうなるだろうと、
両国に於ける個々の実戦力を将棋のコマのように使って、
日米決戦のシュミレーション・ストーリーに仕上げている。
そしてこの著書の中では、
一馬身リードでアメリカ側の勝利と結んである。
 
この本が出版されるなり毀誉褒貶、
日米英間でたちまち話題となった。
アメリカやイギリスでは概ね肯定的意見が多かった中、
日本の反応はすさまじかった。
前作にも増して斬新な太平洋上の海軍戦略展開に胸躍らせた一方、
日本が敗者になる事に猛反発したのだ。
陸海軍のニュースをメインとする「国民新聞」は、
日本が負けると言う結末は極めて論理的でないと非難。
また二大紙の「朝日新聞」「東京日日新聞」も、
この書は挑発的であり、
日本を敗者と結論付けた点を「著者の愚かさを露呈した部分」と酷評している。
そのほか「二流のフィクションだ」「挑発的で有害な書物」
「アングロサクソンの自惚れに始終している」「あからさまな反日だ」と言う書評が相次いだ。
 
日本海軍山本五十六連合艦隊司令長官は1926年、
まだ彼が「大使館付海軍武官」だった当時ワシントンに駐在していた。
彼はアメリカ国内に溢れるヘクターの著書や新聞コラムを好んで読んだ。
と同時に、それらを報告書として纏めて東京へ送っていた。

そうした事実から見て山本がヘクターの理論に相当傾倒していたことは想像に難くない。
二年後日本へ戻った山本は、
ヘクターの説く日本の戦略を大幅に取り入れた講演を行っている。
更に1934 年のロンドン軍縮会議後の講演では、
もう一歩踏み込んだ具体的な内容になっていて、
十隻の空母と八百機の航空機によるハワイ攻撃構想を語っているのだ。

山本五十六長官はまだ彼が海軍中将だった頃二度ばかりヘクターと直接会って話をしている。
一度目は1930年 ロンドン軍縮会議の際、
二度目は1934 年12 月同じくロンドンの軍縮会議にて。
一度目はほんの立ち話程度だったが、
二度目はヘクターが山本長官のホテルを訪ねて二時間以上も会談している。
そしてこの2度目の会談の際、
前出の、
「十隻の空母と八百機の航空機によるハワイ攻撃構想」が話し合われたのではないだろうか、、。
想像の域を出ないが、そう考えることですべて辻褄があってくる!

こうした経緯いから考えても、
ヘクター・バイウォーターの説く戦法を大々的に取り入れて「真珠湾攻撃」を計画した山本五十六が、
その計画のソースであるヘクター及びメルビルが邪魔になって2人を抹殺した、、、
と考えるのが妥当のような気がする。
現にその説を採っている何人かのジャーナリストも存在するのだ。


益々面白くなってきた真珠湾攻撃の裏話だ!


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イギリス秘密情報部にいたことろのヘクター夫妻。


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July 25, 2015

黒船から真珠湾攻撃まで No. 2

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今日のアラモアナ・ビーチ。
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波は2~4フィート。
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さあ、泳ぐわよ~っ!
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おへそにダイアモンドかな?
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あたしには今日の波、大きすぎるのよ!
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グラサンはグッチかディオールか、、。
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しっかりカラー・コーディネートしてま~す!
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反対側から見ると、、、。
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若者よ、沖へ沖へと行くのだ!
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ハワイも真夏、もの凄い日差しです。
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砂場でのランニングが利くのよね~。
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彼、早く来ないかな~、、、。
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な、なんと言う出(い)で立ち、、、。
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健太ならさっきあっちの方へ行ったわよ!
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うーむ、こりゃ問題だぞ~!
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ダイアモンド・ヘッドとサーファー、絵になります、、。
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今ブログ「ジャック・インザ・ボックス」の照見(しょうけん)さんが来てるので、早速ジャック・インザ・ボックスへ!
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もちろん食べたのは「バタリー・ジャック」!
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「健太さん、これ最高に美味しいわね!」、、、。
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照見さんとの待ち合わせはここでした。


この3回にわたってハワイの伝説やアメリカの日系人、
真珠湾攻撃当時の世界情勢などについて少し書いてきた。
実はこれは今健太の書いている小説の一部を披露したものなのだ。
今年は終戦70周年記念、
果たしてあの戦争は一体何だったのかを、
健太なりに検証してみたかった。

そこでまず第一に、
なぜ日本は真珠湾攻撃などと言うとてつもない行動に出たのか、
その理由を知りたかった。
そして、
ハワイの日系人たちは果たして「真珠湾攻撃」を事前に察知していたのだろうか、
調べてみることにした。

ここに「真珠湾奇襲・ルーズベルトは知っていたか」(PHP文庫・今野勉著)と言う本がある。
この本に「1941年7月某日(真珠湾攻撃の5ヶ月前)のホノルル・アドバタイザー紙に、
真珠湾の地図を載せて、日本軍が奇襲してくると言う記事があった、、」
と記されている。
健太は先ずそこから調査することにした。
ハワイ大学にはハミルトンと言う図書館があって、
そこには過去のメージャー紙がマイクロ・フィルムに収められている。
早速ハワイ大学のハミルトン・図書館へ向かった健太。

行ってみるとハミルトン図書館には当時のハワイ日系紙の「日布時事」や「ハワイ報知」、
をはじめ日本の朝日新聞、
ハワイの英字紙の「スター・ブルテン」及び「ホノルルアドバタイザー」、
さらにニューヨークタイムスなどのマイクロフィルムがしっかり残されていた。
健太は即1941年のホノルル・アドバタイザー紙のフィルムを借り出してチェックしてみた。

しかし残念ながら1941年7月1日から31日まで隈なくチェックしてみたけど、
そのものずばりの記事は見当たらなかった。
ただ、
「When Japan Attacks、、、」と言う見出しで、
「Master of the ambush tactics of undeclared war, Japan struck in this four times in the last dicade.
Would she dare attempt this on Hawaii?」
上記のように、「日本の過去の戦法から考えると、
日本はアメリカのどこかを奇襲してくることは大いにある。それはハワイかも、、、」
と言う1941年7月7日の記事を見つけた。
この記事の存在でかなり確信が持てたことは、
少なくとも彼らは薄々何かを感じていた、、と言うことだ!

さて健太の調査はさらに進む。
1930年代後半からアメリカと日本の間かぎくしゃくし始めてから、
時のアメリカの大統領・ルーズベルトはじめ彼のキャビネットは、
今の状況では戦争は避けられないと覚悟していた。
そこで登場したのがアーサー・マッカラムと言う一人の男だ!


 アーサー・マッカラムはキリスト教宣教師の両親の間に長崎で生まれた。
少年時代日本で過ごし日本文化に通じ、英語より日本語が先に出てくる。
近所の子供たちからは「マック」と親しまれて、
アメリカ人独特の目鼻立ちのはっきりしたそのハンサムな顔立ちは、
町の女学生からも人気があった。

父親の死後、マッカラムはアラバマ州に帰り、
海軍兵学校に入学。
大きな体に擢んでた運動神経を持つ彼は成績もトップクラス、
卒業後海軍少尉に任官する。

1923年関東大震災が起きた時の事だ。
その被害は甚大で、アメリカは海軍を通じて援助をすることになり、
マッカラムがその援助活動の調整を任された。
自分の生まれた国日本、
まさに第二の故郷のために役立てる。
マッカラムはアメリカ政府にも働きかけて最大限の援助を引き出し、
勇んで日本へ向かった。

しかし、そうしたマッカラムや米国の心からの行為を、
日本側は固辞したのだ。
それは代々その国に伝わっている「遠慮」と言う美徳、独特の文化であったが、
さすがの日本通マッカラムですらそこまでは理解できなかった。
〈尊大で自負心の強い日本人は、「異人の援助!」と快く思っていない!〉
マッカラムは面子を潰された思いで強い怒りを覚えた。
〈いつか痛い目に会わせてやる!〉
マッカラムはそれ以来日本を逆恨みし始める。
そしてその彼の逆恨みこそが、
日本がアメリカに戦争を仕掛けるきっかけを作ったと知る者は、
本人以外誰がいただろうか。

 その後17年、
マッカラムは太平洋を支配しようとする日本の政策にアメリカを巻き込むことで、
あの時の恨みを充分に晴らすことが出来そうな仕事を引き受けることになる。
1940年夏のアメリカの世論調査では、
国民の大多数がヨーロッパや日本との戦争に巻き込まれることに反対していた。
しかしルーズベルト大統領及び周辺指導者たちは、
「今の世界情勢は既に安全保障上アメリカの驚異となっている」と意見が一致していた。
 
そこで彼らはアメリカが行動に移す、つまり戦争を始めるきっかけ、
大義名分が必要だと論じた。
マッカラムはそのきっかけを作る計画のメイン・メンバーの一人だった。
海軍情報部極東課に勤務する彼の任務は差し当たって、
通信傍受施設HYPO(真珠湾)・H(カネオヘ)・FIVE(フォートシェフター)・SAIL(シアトル)CAST(コレヒドール)ITEM(サンディエゴ)から集まる解読された日本の軍事外交報告暗号文を検閲し、
逐次ルーズベルト大統領に諜報報告書として提出する事だった。

当時アメリカ政府や軍部の中で、
日本の活動や意図についてマッカラムほど知識を持ったものはなかった。
そして彼は、「日本との戦争は不可避で、我々にとって都合のよい時に、
日本側から仕掛けてくるように挑発すべきだ」と一貫して主張し続けた。
ルーズベルト大統領にとって一番危険なことは、
国民の後押しのない戦争を始めてしまう事だったからだ。
 〈降りかかる火の粉は払わねばならない〉
そう国民に思わせる方法を考えなければならない。

1940年10月にマッカラムは、
日本が対米戦争を仕掛けてくるようにと、
仰天すべき計画、八項目の覚書を会議に提出した。

1.太平洋の英軍基地シンガポールの使用について英国と協定の締結。
2.蘭領東インド(インドネシア)内の基地施設の使用及び補給物資のオランダとの協定締結。
3.中国蒋介石政権に、あらゆる援助の提供。
4.遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個船体を、フィリピンまたはシンガポールに派遣
  する。
5.潜水艦二隊を極東へ派遣する。
6.現在ハワイ諸島にいる米艦隊主力を維持する。
7.日本の不当な経済的要求、石油に関するオランダへの要求を拒否するように主張する。
8.英国が日本に対して押し付ける通商禁止と同調して、日本との全面通商を禁止する。

つまり、
「アメリカは、現在日本が行っている対外政策を一切認めないぞ!」と言う、
これらの日本に対する徹底した挑発項目を実行に移せば、
間違いなく日本はアメリカに戦争を仕掛けてくる!
マッカラムは絶大な自信をもってこれをルーズベルト大統領に提出した。
 
ルーズベルトはこの八項目を最も信頼していた軍事顧問、
ウォルター・アンダーソン海軍大佐とダドリ・ノックス陸軍大佐に送り、
翌日から組織的にそれを実行させた。

この中で最も衝撃的な戦争挑発項目は第四項目であった。
「我々の巡洋艦を日本海域のあちこちに飛び出させて、
ジャップに疑念を与えるようにしたい。
そのためには巡洋艦の一隻や二隻失うことはいとわない」
ルーズベルト大統領はこの挑発行動を「ポップアップ作戦」と呼び、そう嘯いた。
 
1941年3月から7月にかけて、
ルーズベルト大統領はそうしたポップアップ巡洋艦三隻を日本海域に派遣した。
その中で最も挑発的なものの一つは瀬戸内海への主要接近水路である豊後水道(九州・大分県と四国・愛媛県の海峡)への出撃だ。
それを発見した日本軍は米国に対して厳重な抗議を行った。
危うく一発触発、
と言うところで米艦は煙幕に隠れて南方へと逃れて行ったのだ。
この事実を見ても日本への挑発行為は見事に功を奏している。
「最初の一撃はジャップにやらせろ!」
その真意を知らない日本側は、
ルーズベルト大統領の挑発計画に次々と反応して行くのだった。

 
ここまで読んでも、調べが進むにつれどんどん深みにはまって行く健太の様子が分かるよね、、(笑)!

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ここをまっすぐ行くとハミルトン図書館がある!
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「戦争挑発8項目」を発案したアーサー・マッカラム少佐。

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July 22, 2015

黒船から真珠湾攻撃まで、、

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今日午後のアラモアナビーチ!
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ボード重そうですねぇ、、。
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一瞬おっぱいが見えてるのかと思っちゃった、、(汗)。
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今日の波は1~3フィートだそうです!
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気持ちよさそうに焼いてるなあ、、。
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一人男の人がいるんだね、、。
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こんなに焼けてから塗ったんじゃ遅いわよ!
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あんまり明るくて画面が見えないわ!
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ロコ・ギョール・サーファー!
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綺麗に焼けてますね~、、。
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奥様、波打ち際に近すぎませんか?
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ボードとウェットスーツの色を合わせてみました!
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今日の「ドカ~ン!」。
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キオツケ~ッ!
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スマホに夢中で、そばで溺れてる人がいても気が付かないのだ!

 黒船の江戸湾来港後なかば強引に開国させられた日本。
しかしその後の日本の発展には目に見張るものがあった。
当初、熱心に欧米の文明を摂取して急成長してゆく日本の姿を見た列強諸国は、
「優等生の成長」と目を細めていたが、
やがてそれは警戒の眼差しに変わって行った。
 
先ず、日清戦争に勝利を収めた日本に、
ドイツの皇帝ウィルヘルム二世はその行く末に強い危惧を抱き、
「イエローペリル(黄渦論)」(ドイツ語ではGelbe Gefahr)を唱えた。
いわゆる黄色人種脅威論だ(この時の黄色人種は日本人を指している)。
その後日本は日露戦争に勝利し中国へ進出、_
さらに東南アジアにまでも手を伸ばしてゆくその姿に、
ヨーロッパの政治家たちは挙って「イエローペリル(黄渦論)」に同調していった。
 
明治元年(1868年)以来日本はハワイに移民を送り出し、
1897年にはアメリカ本土への移民も始まった。
年に8000人にも及ぶ日本人が移民として海を渡っていった。
そうした中、「イエローペリル」は米国内にも蔓延し始めた。
アメリカがハワイをテレトリーとした1900年には、
日本人移民排斥がハワイで起こり、
カリフォルニアでも排日運動が起きた。
更に1906年、
サンフランシスコ議会では日本人学童を白人学童から隔離する法案が可決した。

*日本人は職業上の価値を無視して、長時間働き白人労働者を圧迫する。
*日本人は生活程度が低劣で、米国人と共同社会を作ることができない。
*日本人は故国に送金し米国経済に貢献しない。
*日本人は日用品を故国から取り寄せ、米国製品を使用しない。
*日本人は愛国心が強く、政治道徳は米国人と一致しない。
*日本人の持つ文化は米国に悪影響を与える。
*日本人は密集して、自国の風俗習慣を改めようとしない。
*米国は米国人の米国であり、ジャップを排除すべし。
*日本人の入国は人種問題を悪化させる。
 
こうした彼らの主張は、
米国における日系移民たちの繁栄に対する妬みが大きな要因になっていることは確かだ。
 
1907年、安孫子久太郎はリビングストン近辺の土地2000エーカーを購入、
大和コロニーなる開拓村を創設した。
入植者はパイオニアとして荒地を切り開き砂地を改良、
見事な耕地とした事で近隣の白人たちから絶賛された。
また生田見寿は、
サクラメント下流地帯の稲は丈や葉のみが伸びて米が実り難かったため、
日本の早稲の種もみを輸入栽培、見事にカリフォルニア米を定着させた。
さらに「ひな」の性別鑑定だ。
日本人の持つ技術では、孵化後間もなくひなの雌雄を選別できたので、
業者は卵を産む雌だけを選んで育てることができた。
この技術を身に着けた日本人一世二世は鶏卵産出地帯で引く手数多だった。
 
一方漁業に於いても、
近藤政治はカリフォルニア半島で伊勢海老やアワビ、マグロを漁獲し、
マグロ漁では日本独特の漁法を用いた。
それは従来のアメリカ漁法より効率が良かったため、
やがてアメリカのマグロ漁に大きな技術革新をもたらすことにもなったのだ。
このような米国内に於ける日系人の活躍には目を見張るものがあった。
 
しかしそうした日本人の繁栄に危機感を募らせたアメリカ政府は1913年、
カリフォルニアの第一次排日土地法で日本人の土地所有を禁止、
借地権も三か月に制限した。
そこで日本人たちは、
アメリカ生まれの市民権を持つ自分たちの子供の名義での土地所有を試みた。
だがそうした苦肉の策も1920年第二次排日土地法案が可決されると、
アメリカ市民である日本人の子供たちでさえも、
土地所有及び借地権が認められなくなってしまった。

因みに、1920年のカリフォルニア州農地管理委員会の報告では、
日本人所有土地面積は7万4769エーカー、借地面積は38万3287エーカーとなっている。
ハワイの日系人とアメリカ本土の日系人とは共通点はあるものの、
明らかな相違もあった。砂糖黍畑の労働者として日本人が移民した当初、
ハワイはまだ米国ではなく独立国だったからだ。
しかし間違いなく「イエローペリル」はハワイにも迫っていた。
砂糖黍畑の日本人耕地労働者たちは、
想像を絶する劣悪な労働条件を強いられていたのだ。

彼らは朝まだ星が出ているうちに起床して、
小さな容器に弁当を詰めて袋に入れ、ホー(鍬)を担いで家を出た。
朝6時には仕事を始めて、
日中は炎天下で10時間の重労働を強いられ、
時にはルナ(監督)の鞭を受け、身も心もズタズタにされながら懸命に働いた。
それでも僅か1日75セントと言う雀の涙の給料。
その頃のアメリカ本土・シアトル港湾労働者の未熟工ですら1日5ドル25セント、
サンフランシスコ沖合労働者が8ドル80セントだった事から、
その賃金の低さには開いた口が塞がらない。
これが「イエローペリル黄渦」(=ジャパニーズ・バッシング)以外の何だと言うのだ。
因みに、当時の調査では1月にかかる最低生活費は、独身者で34ドル。
夫婦に2人の子供の家族になると75ドル必要だった。
1919年、耕地労働者たちは『ハワイ耕主組合』に賃上げ要求を出した。
男子労働者の一日最低賃金を、75セントから1ドル25セントに、
そして女子労働者の賃金は95セントに。
しかしそれすらなかなか受け入れられなかったのだ。


こうした背景も、
日本を真珠湾攻撃へと舵を切らせた大きな要因になっていることは確かだ。


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July 18, 2015

ハワイの伝説『ペレ』とは、、、、

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あっ、虹が出た!ハワイじゃあ珍しくないけどね、、(笑)。
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さて、どの辺の通りでしょうか、、?
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HCCで餌をねだりに来た鴨くんたち!
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ごめん、今日は何もないんだよね、、。
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遠くから見ると、どれがOB杭だか分かんないんだよな~。
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このサギ君たち、なぜかこの枯れ木が好きで何時もここに群がってるんだ!
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これがハワイ州鳥の「ハワイアン・グース」だ。こいつを捕まえたり苛めたりしてはいけないのだ!
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ロイヤル・ポインシアナ!
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プルメリア。今にも匂いがしてきそうだ!
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幻想的な花だね!ハワイの花図鑑を紐解いて見ると、どうやら「MILO」って言う木に咲く花のようだ、、。
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???


ペレとは、ハワイの伝統に出てくる火の女神「ペレ・ホヌア・メア」の事だ。
女神ペレは溶岩や火を自由に操ることが出来て、ハワイの火や火山を支配することで知られている。
また一瞬にして地を破壊する力を持っていることから、「地を食う神」とも呼ばれていた。
生まれは古代タヒチだ。
或る日、水の神である姉「ナマカ・オカアイ」の夫をペレが誘惑したため怒りを買い、
兄の「カモホアリイ」のカヌーに乗って他の兄弟たちとともに、故郷であるタヒチを後にした。
 
そうしてハワイにやってきたペレは、我が「聖なる火」を守るために大きな穴を探していた。
しかし求める大きな穴を見つけるのは困難だった。
途方に暮れたペレはハワイの島々のあちこちに穴を掘り地中に火を埋めようとした。
その時、タヒチからペレの後を追って来た姉「ナマカ・オカアイ」の嫉妬に狂った勢いで起こした洪水に、ペレの火は悉く消されてしまった。
二人の争いは執拗に繰り返されたが、姉のナマカ・オカアイに完璧に破れたペレは、マウイ島のハナに於いて八つ裂きにされてしまったのだ。
「カイヴィ・オ・ペレ」と呼ばれる丘には、ペレの遺体が埋められていると言う言い伝えが残っている。

肉体を失ったことによりペレの魂は自由になり、霊となってハワイ諸島最大の島、ハワイ島・マウナロアに住み着いた。
兄弟の雷神・カネへキリ、噴火神・ケオアヒ・カマカウア、そしてタヒチから卵のまま連れて来たハワイ生まれの妹、ヒイアカと一緒に暮らしたのだ。
ペレはいつもハワイの島々を飛びまわっていた。
ふとカウアイ島の賑やかな囃子に引き込まれて立ち寄ってみると、
そこで若く逞しいアリイ(酋長)ロヒアウの姿を見た。恋多きペレは一目でヒロアウの虜になってしまい、
ロヒアウの好みの美女を祈りで見つけると、一瞬のうちにその美女に変身してしまう。
もちろんヒロアウはペレに夢中になった。
 
ペレのカウアイ島滞在が長くなった。
ハワイ島で留守を預かる妹のヒイアカは日に日に不安になって来た。
島を守るペレがいない。
ヒイアカは友達の「オヒアレフアの森」とその森の神「ホポエ」に留守を頼んで、ペレを迎えに行く事にした。
長旅の末カウアイ島に着いてみると、ペレは妹のヒイアカの心配をよそにロヒアウとの愛に溺れ、一向にハワイ島に帰ろうとしなかった。
しかし度重なるヒイアカの願いで、ペレは仕方なく一旦単身でハワイ島に帰ることにした。
嫉妬深いペレは、カウアイ島にしばらく滞在したいと言うヒイアカに、自分の留守中にヒロアウを誘惑しないよう、そして四十日経ったら必ずハワイ島に戻るようにと何度も言い聞かせた。
一方ヒイアカは姉のペレに、くれぐれもハワイ島に残した友達「オヒアレフアの森」とその森の神「ホポエ」の面倒を見るように頼んだ。
 
ペレがハワイ島に戻ってしまった後、ヒロアウはペレに恋い焦がれ、
あまりの寂しさに病の床についてしまう。
ヒイアカの手厚い看護にもかかわらずロヒアウはやがてこの世を去ってしまう。
悲嘆にくれたヒイアカだが、
彷徨うヒロアウの浮遊霊を探し出して霊として立ち上げると、
ともにペレのいるハワイ島へ向かった。
ハワイ島は遠かった。
ヒロアウの霊を連れての道のりは若いヒイアカにとって至難の旅となった。
ロヒアウはペレがいない今、ヒイアカに引かれていた。
もちろんヒイアカも同じだった。しかし姉思いのヒイアカは、かたくなにその思いを打ち消した。
 
ハワイ島に戻って来たヒイアカとヒロアウを見たペレは、約束の四十日を過ぎても戻らなかったとヒイアカに腹を立てた上に、いかにも親密そうにしてやって来た二人の姿を見て、てっきりヒロアウを取られてしまったものと勘違いした。
怒り狂ったペレは、辺り一面の「オヒアレフアの森」を猛烈な炎で焼き払ってしまった。
ヒイアカとしては姉を思ってロヒアウを連れて来たと言うのに、
逆恨みされた上大切な友達の「オヒアレフアの森」までも焼き払われてしまったことに激情、
ペレの目の前でロヒアウを強く抱きしめると、激しい接吻をした。
それを見たペレは更に怒り狂い、二人を炎と溶岩で蹴散らしてしまった。
 
ヒイアカは神なのでその仕打ちを免れる事が出来たが、
単なる霊のロヒアウは一溜りもなく吹き飛ばされてしまった。
絶望に泣き崩れたヒイアカだが、
幸いペレのもう一人の兄「カネミロハイ」がタヒチからの航海を終えてハワイ島沖にさしかかったとき、
たまたまロヒアウの浮遊霊を洋上で見つけて捕えてくれたのだ。
 
ヒイアカとロヒアウは間もなくオアフ島で再会、その後末永く幸せに暮らしたと言われている。


世の中に存在する伝説って、
現代人にとってはどこか物足らない。
昔の人たちの想像力が限られた方向にしか働いていなかったのが原因かも知れないけど、
言い伝えられているうちに内容も多少変わってきてしまったとも考えられる、、。
しかしそれだけに、
時々我々の想像力が無性に掻き立てられる部分もある。


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July 15, 2015

誰だって戦争なんて嫌だ!

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今日のアラモアナ・ビーチ!
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今日の波は2~4フィートだそうです。
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足、太いなあ~、、、。
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のんびり、、ゆったり、、、、、。
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年をとっても何時も2人仲良し‼理想的ご夫婦です、、。
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オイッチニ~!
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どう?私のニューファッション!
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あたしのカメラ調子悪いのよね~、、。
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このくらいの距離が特等席なんだよ、、。
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みんなビーチじゃあスマホをやってるんだよね!
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この辺に陣取ろうかしら、、。
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沖に向かって祈りをささげる男、、。
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ボードと戯れる少女。
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ママが見てるから泳いでご覧!
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キングとピーコイ角の標識。


安全保障関連法案が衆院特別委員会で可決され、
きょう午後衆議院本会議で採決される模様だ。
おそらくこのまま参院でも通過するだろう、、。
果たしてそれが良いのか悪いのかは、
現時点では誰にもわからない。
いろいろな方面で違憲であると反対意見も多かったようだけど、
これだけは言える、
自衛隊は誰が見ても軍隊だ。
もし安全保障関連法案が違憲と言うなら、こっちのほうが問題なんじゃないの?
ともあれ、
世界広しといえど自国を自分の手で守ろうとしない国は日本だけだ!

誰だって戦争なんかいやだ!
当たり前のことだ。
しかし尖閣諸島は中国のもの!竹島は韓国のもの!と両国は夫々主張している。
特に中国は尖閣諸島近辺で何度も日本の海保と問題を起こしている上に、
その警戒空域で中国機が同様に問題を起こしている。
こんな状態ではいつ不測の事態が起きるか分からない。
日本はアメリカと「安全保障条約」を結んでいるから、
何があっても安心、、、、
本当にそうだろうか、、、。


1939年ドイツのヒットラー総統はポーランドに対して、
『バルト海に面した港の都ダンチッヒは人口25万人の大半がドイツ人であるとともに、
十世紀以来ドイツ人商人が築き上げたドイツにとって重要な都である』と言って、
その領土はドイツのものだと強く主張した。
しかしポーランドは英仏両国との安全保障条約を頼りに、
そんなドイツの主張を頑なに撥ね付けていた。
それに不服だったドイツ軍はポーランド侵攻を行動に移し、
その9月、首都ワルシャワへ迫りこれを占領した。

 それを見た英仏両国は、
ポーランドとの「安全保障条約」を理由に対独宣戦を布告した。
しかし、
所詮安全保障条約など絵に描いた餅、
怒涛のように押し寄せるナチス・ドイツ軍と戦うための十分な兵力も準備もなかった英仏は、
手も足も出ず、
あえなくポーランドを見殺しにする結果に終わってしまったのだ。
 
調子づいたドイツ軍の勢いは止まらず、
翌年1940年4月にはノルウェー、デンマークを無血占拠。
ノルウェー救援の為再び軍事介入した英軍は海上よりトロントハイム港を奪取せんと企てたものの、
陸上より急行したドイツ軍にあっけなくて敗れると言う惨めな結果を招いた。
更にこれに次いで、
ベルギー、オランダ、ルクセンブルグもドイツの電撃戦により儚く屈してまったのだ。
 
そんな中、フランスの屈服が迫ると見たイタリアは、
ムッソリーニ宰相の命令一下、フランスに宣戦布告して進撃した。
ドイツの大攻勢を前に、日に日に敗色の濃くなったフランスのレイノー首相は、
1940年の6月10日、アメリカのルーズベルト大統領に対して、
「蜂の大群の如く大量の軍用機を送られたし」とSOS発したが、
あの時点でアメリカもそれだけの航空機を持ち合わせなかったのだ。
そこであっけなくフランスは抗戦中止をドイツ軍に求め、
その4日後、ドイツ軍はパリに入城してしまったのである。
そして遂に6月ドイツは独ソ不可侵条約を反故にしてソ連侵攻を開始したのだ、、、。

あの時ポーランドが他国に頼らず、
自力で自国を守ることができたらあの第一次世界大戦は防げたかもしれない。
いや、第2次世界大戦ですらどうなったかわからない!

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July 11, 2015

とてつもない、でっかい夢!

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キング・ストリートのロングスの前から、和食のヒデちゃん(右の黄色い店)をパシャリ!
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わー、虹がずいぶん低いところに出たなあ、、。
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カイムキのハードウェアー・ショップ、シティー・ミルへ!
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ホームコース・HCC(ホノルル・カントリー・クラブ)1番ホール!
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同じく7番ホールでパーパットをするとんま。右のボールが健太のボールで、ここはしっかりパーでした!
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12番ホール・グリーンからティーグラウンド方向へ振り返った景色。
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HCCの雀。スズメは日本では珍しくないけど、ハワイのスズメはものすごく小さくて、大きさはおそらく日本のスズメの半分くらいだと思う。
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とんまはコースの鳥たちにパンをやるので、何時も鳥たちがとんまの後をついてくる、、。
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ハワイに戻ってきて真っ先に行ったのはここだ、、(汗)。


ホノルルに戻ってきて感じたことはやっぱりハワイの気候は最高だってこと!
今日は少しジメジメしているけど、
それでも日本の梅雨の10倍は過ごしやすい。

こんな気候の中で生活できることを心から感謝したい。
おそらく寿命も長くなると思う。
何時だったかある人に(占いをする人)、
「健太さん、あんたあと20年は生きますね‼」なんて言われた。
エーとあと20年と言うと93歳、、かな、、。
ま、健太の親父は94歳、おっかさんが89歳で亡くなったので確かに健太もそのくらいは生きそうだ。
5年あればかなりのことができる。ましてや10年あればでかいこともできる。
20年あればどでかいことがきっとできるよ!

となると、
のんべんだらりと生きるのも良くないので目標、夢をしっかり持つことにしている。
これも人の話だと、
「実現させようと思うなら、簡単にかなうような夢ではだめだ!」
と言うので、
とてつもないでかい夢を持っている!
それを口にしたらきっと他人はケラケラ笑うだろう。
でも、
そのくらいけた外れの夢じゃないと実現に向かって物事は動かないそうだ!
先のことだ、
そんなことが出来るわけないよ、、なんて誰が言えるの?

皆さんも健太に負けずに、
どでかい夢・目標を持って生きてゆこう!
ところで寿さん、健太の夢は内緒ですよ(笑)。


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July 08, 2015

5000キロ離れて、、

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この周辺も最近随分変わったね、、。
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今回は東急沿線にお世話になりました、、。
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してぇ、日吉ではいつものこのお宅へお邪魔しました!
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帰国前夜は自由が丘のこの店、、。
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うなぎの「八沢川」へ!
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帰国当日は時間つぶしにアメ横をぶらり、、、。
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アメ横名物のチョコレートやさん志村商店の前を通ったら、、「健太さ~ん!」と声がかかった、「おや、だれだろう、、?」
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な、なんと、声をかけてくれたのは店のご主人の志村さん、「何時もブログを見てます‼」って言って下さった。いや~、偶然通り掛ったのに、驚きました、、、。もちろん初対面です!
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成田行き特急にはまだ時間があるので、上野・マックでコーヒーを。
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帰りはUA-44便。787はFクラスがないので席はビジネスでした、、。
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してぇ、到着したホノルルの我が家では早速虹のお出迎えだ!
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今日は水曜日、水曜会ゴルフでした。コースはパリ!
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パリ・ゴルフ・コースのクラブハウス。
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早速5匹の豚君たちのお出迎えだ!
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その中でも一番人懐っこいのはこの「ポンタ」(勝手に名前を付けました、、笑)!

6泊の東京旅行も無事終わって、
昨日ホノルルに戻って来ました。

今回の訪日目的は成蹊のクラス会だったけど、
メインイベントはなんと言っても、
アメ横で声をかけてくださった志村さんとの出会だ!
何しろハワイと日本は5000キロ以上離れている。
その5000キロの海を渡ってやってきて、
アメ横を歩いていた健太を偶然見つけて声を掛けてくれた志村さん、
嬉しかった。
志村さん有難う!
声をかけてくださっただけでもうれしかったと言うのに、
商売道具のチョコレートをお土産に袋いっぱい下さった。
重ねて有難う!

今までもホテルやゴルフ場、
レストランで知らない方に声をかけて頂いたことはあるけど、
何しろ今回は人人人でごった返すアメ横での出来事、
本当に驚いた!

これからもみなさん、
健太をどこかで見かけたらぜひ声を掛けてください!


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July 03, 2015

美味いもんだらけ!

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ホノルル空港出発だ!
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Fクラスの健太の席、、。
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ダイアモンドヘッ様行って来ま~す!
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機内食はビーフを選んだ。
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あ~あ、成田は雨でした、、、。
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お~、久しぶりの蒲田だぞ!
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さて、2日目はここへ!
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もちろん目的は、和牛の焼肉店のここ!
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これこれ!
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ハワイではなかなか食べれない霜降り牛だ~!
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牛タンも行こう!
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きれいなお姉さんのサーブです。
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アップにしました!
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ナムルも美味いっ!
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ラーメンはこの万世橋のある街で、、。
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ヨドバシカメラのビルのここで!
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コラーゲンたっぷりのとんこつラーメン、全トッピングだ!
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餃子も行っちゃおう!
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女性に人気のあるこの店では、デザートも美味い!これは杏仁豆腐です。
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夜は日吉のこの店だ!
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日本の刺身はやっぱうめ~なあ、、。
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メンバーはこんな感じでした!


やれやれ、
時間がどんどん過ぎてゆく。
既に東京滞在4日目になってしまった。
日本へ行ったら「あれもこれも食べたい!」
などと思っていたけど、
健太も若くない、
そんなにたくさん食べられないのだ、、(涙)。
実はラーメンは毎日食べたかったし寿司だってたべたかったけど、
とてもそんなに食べられない。
悔しいなあ、、。

さて夕べは友達のシンガー「万理村れい」さんとご一緒した。
万理村さんは今全米に流れるコマーシャルソングの収録でおいそがしいけど、
わざわざ夕べ時間を作って下さったのだ。
嬉しい事に万理村さんの歌声がハワイでも聞けそうなんだよね。
万理村さん頑張れ!

さて今日はこれから成蹊のクラス会に出席してきます。
場所は東京駅八重洲口の中華料理店です。
では、行ってきま~す!


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