December 10, 2014

知っておこう、ハワイの歴史!

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アメリカのハワイ併合に反発した日本は、東郷平八郎率いる軍艦「浪速」をハワイに送った。
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「浪速」の艦長東郷平八郎!
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プロレスラーの「グレート・東郷」!
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今日のSS !


明治26年(1893年)、
ハワイ王国のリリウオカラニ女王が米国との不平等条約を撤廃する動きをみせると、
これに強く反発したアメリカ人たちはホノルル港に係留していた「ボストン号」の海兵隊160名の支援を得てクーデターを起こし、
ハワイ王政を打倒して「臨時政府」を樹立した。
つまりアメリカ(白人)によるハワイ乗っ取りである。
しかしこの時、
日本はハワイの邦人保護を理由に東郷平八郎率いる巡洋艦「浪速」他2隻をハワイに派遣し、
ホノルル港に停泊させてクーデター勢力に対して威嚇した。
これを見た女王を支持するハワイアン達は涙を流して歓喜したといわれる。
そしてハワイ在留日本人も女王支持派に同情的であったにも拘らず、
遂に明治31年(1898年)アメリカによるハワイ併合が実現された。

ハワイアンの間では日本の軍艦がハワイの味方してくれたという話が語り継がれ、
その艦長である東郷の名前を子どもにつけたり、
英雄のことをトウゴウと呼んだりした。
またある地域では「ナ ニワ」が「ありがとう」の意味で使われたりした。

プロレス華やかなりしころ、
「グレート東郷」と言うプロレスラーが活躍したのを覚えてる方もいると思う。
この「トウゴウ」はその時の「英雄」と言う意味から付けられていた。

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December 07, 2011

真珠湾攻撃のアイディアはどこから?

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今日のケワロ・ベイセン・パーク!
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ケワロ・ベイセン、この港には昔日系人の大漁舟がひしめいていた、、。
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おっと、こいつはメチャ早そうな船だ!どう見ても最新型の船だね。
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ケワロ・ベイセンからアラモアナ方面を見たところ。
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今日のアラモアナ・ビーチは意外と人出が少ないなあ、、。
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この丸い土管のようなもの一体なんだったんだろうか、、何時も気になっている。

 今日は12月7日、
日本軍によるパール・ハーバーの奇襲から丁度70年、
ハワイのメディアは一斉にそれ等を取り上げている。
ハワイに在住する健太たち日本人にとって、
一年で一番辛い日だ。
こんな時に真珠湾にも行こうものなら、袋叩きにあっちゃうかも、、、。
ま、それは冗談だけど、
やっぱり何か肩身が狭い。

 この真珠湾攻撃のアイディアは、
山本五十六元帥が考えたものとされている。

 しかし、作家でありジャーナリストであり軍事評論家でもあった、
英国人「ヘクター・C・バイウォーター(1884~1940)が1920年代に著した、
「太平洋の海軍力」ならびに「太平洋大戦争」の2著書で、
精密な日米戦争のシュミレーションとして書かれたその戦況予想が、
その後に起こった真珠湾攻撃と驚くほど酷似していることから、
どうも山本五十六はこのバイウォーターの著書に影響を受けていたのではないか、、、
と思われる。

 ハワイに生活する健太のような日本人にとって、
やはり真珠湾攻撃は特別の意味を持つ。
ハワイで生活するようになってから、
健太はそうした「太平洋戦争」や「真珠湾攻撃」に関する著書をゴマンと読ませて頂いた。
その中で、
このバイウォーターの事が書かれた、
「Vision of Infamy ( William Hornan著 )」には著しく驚かされた記憶がある。

 いずれにしてもあれから70年、
今や日米が手を携えて、
あらゆる分野で世界に貢献していることはとても素晴らしい事だと思う。
草葉の陰で山本五十六さんもきっと喜んでいるに違いない、、(笑)。


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May 20, 2011

カメハメハ大王の横顔

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キング・カメハメハ大王の横顔!
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ダウンタウンのカワイハオ教会。
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ダウンタウン中心部の案内。
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ハワイの旗。ビルはホノルル中央郵便局。
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アラモアナから見たハワイプリンス・ホテル。
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向こうのうつ伏せの男の人、生きてるかなあ、、(汗)。
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ランチはジャック・インザボックスの「ジャンボ・ジャック」だ!

 歴史上の人物はいろいろな形で人々に語り継がれて来ているわけだけど、
大概の場合それらの話には尾ひれが付いて伝えられることが多く、
その実像はまるで五里霧中だ。

 このカメハメハ大王像のカメハメハ大王は彫の深い、
とてもハンサムな男に造られている。
しかしキャプテン・クックがこのハワイに来た頃描かれた彼の似顔絵が、
色んな書物に掲載されているけど、
ずんぐりとした下膨れのあまりハンサムな男とはいえない。
恐らく銅像を造る時にかなりいい加減な顔にして造られたに違いない。
キング・カメハメハ大王の頃は(1748~1810)カメラがなかったからね、、。

 残念なのは健太の写真はいっぱいある。
健太が死んで何年か経って誰かが「健太像」を造ろう!
なんて事になっても、
写真があるのでカメハメハ大王のように実際よりハンサムに造られる事は決してないだろう、、。 
 
 えっ?心配ない、誰も健太像なんか造りゃしない、、ですか、、(汗)!
ははは、、。確かにそうかも知れませんが、
一体何が起きるか分からないのがこの世の中、
100%可能性がないとは言い切れませんよね、、(笑)!

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カメハメハ大王の肖像画。何時ごろの作品かわらないけど、これも色んな書物にお目見えする。


 


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November 29, 2008

忘れてはいけない、歴史の1ページ、、

300pxussarizona_pearlharbor1日本軍の真珠湾攻撃で沈んでゆくアリゾナ号。
Photoコーンパイプを銜える連合軍最高司令官・ダグラス・マッカーサー。
Imgp3925そして今は平和な真珠湾、、じゃないハナウマ湾、、、、(汗)。今日のホノルルは最悪の天気だったので、26日の写真から、、、。

 ハワイに住んでいるとどうして考えざるを得ないことがある。
「真珠湾攻撃」だ。
このブログでも何度か取り上げているけど、
日本人に取って切っても切れない問題だと思う。
今時の若い人たちに言わせれば、
「そんな過去のことを、、、。だってもう67年も前のことでしょ?」
なんて言うかも知れない。
いや、もっと極端な話をすれば、
「本当にそんなことが有ったんですか、、?」
なんて言う者もいるそうだ。
過去のことを何時までも考えたり、それに縛られるのは勿論良くない事だろう。
しかし忘れてはいけないこともある!

 1941年12月7日(日本時間12月8日)、
日本軍の真珠湾奇襲攻撃により第二次世界大戦は始まった。
神武(じんむ)天皇即位から数えて昭和15年は日本の紀元2600年と言われ、
(この年1940年の西洋より長い歴史があると言いたかったのだ)
神国日本はその長い歴史の中で敗戦を味わった経験がなく、
絶対の勝利を信じて戦っていた。
しかし約3年8ヶ月に亘る長期戦に終止符を打ったのは、
言うまでもなく広島・長崎への原爆投下であった。
その原爆の地獄絵を目の当たりにした者たち(軍上層部)は、
初めて自分たちの取った行動が過ちであると気が付いたのだ。
時既に遅し、
国民たちは戦争に全てを吸い取られて、食べるものすら満足になく、
「無条件降伏」という最悪の事態で終戦を迎えた。

 アメリカを先頭とする連合国軍による日本への進駐が始まった。
敗者は常に勝者の奴隷になるのが世界の歴史の中で証明されている。
初戦東南アジアで勝ち進んだ日本兵は、
ご多分に漏れず各地で強姦や強奪を欲しい侭にしていた。
そんな経験上、
日本も例外はなく連合国軍による進駐後そうなると誰もが信じていた。
そのため進駐軍が上陸してくる直前に京浜地区では婦女子の疎開が慌しく行われ、
運輸省では疎開するものたちのために無賃乗車の便を図ったほどだった。

 連合国軍最高司令官のジェネラル・マッカーサーが厚木基地に降り立ったのは、
昭和20年8月30日。
マッカーサーはトレードマークであるコーンパイプを燻らせながら取り囲む記者たちの前に立って言った。
「メルボルンから東京まで長い道のりだった。長い長い困難な道のりだった。しかし万事がこれで終わったようだ、、、」
実質上彼はその時点で天皇をも配下とできうる、
「日本国のトップの座」に就いたことになる。
すべて彼の匙加減で「日本国」はどうにでもなった、、いや、どうにでもする事が出来たのだ!
マッカーサーに対して日本軍は執拗に攻め立てた経験があるだけに、
その報復を恐れた者も数多かったと考えられる。
しかし、それからのマッカーサーは日本国再建に向けて精力的に活動した。
彼の掲げる「民主主義」とは一体どんなものであるのか、
徹底して日本国民に教育しようと考えたのだ。

 進駐後連合国軍の兵による暴行事件もかなりあった。
最初に上陸したスウィング将軍指揮下の兵による強姦強盗事件もその一つだった。
「敗戦国なのだから、それは仕方がないこと、、、」
日本国民の誰もがそう考えた。
しかしその強姦強盗犯の兵達には即座に「死刑」が言い渡されたのだ。
日本国民は一斉に驚くと同時に、
かつて自分たちが見たことのない眩いばかりの一筋の光をそこに見た!
「ひょっとして、これから我々にとっても素晴らしい時代が来るのかもしれない、、」

 マッカーサーによる日本国の「民主化」は着々と進められ、
政治犯の釈放、言論の自由、婦人の参政権、、、
今まで陽の目を見なかった人々にとって、
マッカーサーの出現はまるで神の飛来にも思えたという。

 昭和21年、日本は40年に一度という大凶作に見舞われた。
日本の食糧事情は危機的な状況に追い込まれ、「1千万飢餓説」が囁かれた。
共産党は吉田内閣を相手に隠匿食料を人民に分配することを要求、
それをスローガンに大々的なデモを行ったことにより巷は大混乱に陥った。

 しかしマッカーサーはこの事態を放置してはおかなかかった。
「自分が最高司令官である間は、日本人は一人たりとも餓死させない!」と約束、
その声明と共に本国から直送の小麦粉放出許可を出した。
その小麦粉が人々の口に入り始めた頃、
GHQそしてマッカーサーの元に多くの日本国民から感謝の手紙が届き始めた。
「白いパンがパン屋に現われたのは何年ぶりだ!」
町々では喜びの声が上がった。
特に老人や病人たちは人前もわきまえず泣き出して、
「ああ、マッカーサーのパンだ!あの人が貧乏人を救ってくれる!」
と称えた。

 長々のお付き合い有難う!
今、健太や皆がこうしてこの世に存在していられるのは、
ひょっとしたらその「マッカーサーのパン」のお陰だったかもしれない、、。
何しろあれがなければ、日本人1千万人の餓死者が予想されていたくらいだからね、、。

 何時の時代も偉大な人間はいる。
あの敗戦というターニングポイントで偉大な人間に支えられた日本人は、
ラッキーだったと考えるべきだと思う、、。

 そこで今日のクイズです。
問題はここをクリック! 
今日も偉大な「ダイアモンドヘッド様」に関する問題でした、、(笑)。


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June 19, 2008

ハワイ大学の日本史教授

Imgp3720カイアル・ビーチのヨット。これからますますこの空が青くなる!

 健太の住んでいるコンドは一つのフロアに2軒しかユニットがないのでとても静か。
以前住んでいたところはそれこそ1フロアに30軒ほどユニットがあって賑やかだった。
コンドは人の住むところだから、静かなことに越したことはない。

 健太のフロアのもう一軒のユニットに住んでいる男性はハワイ大学の教授。
それもなんと、白人なのに日本史を教えているという。
独身で、年のころは50歳なかばといったところ。
背は175センチの健太より少し高いくらい。
エレベーターやホールウェーで良くお会いする。
もちろん日本語も上手で、殆どなんでもこっちの言っていることは分かるようだ。

 以前にも話したかもしれないけど、この先生、ちょっと変わっていて、
フロアに有る両ユニット共有のダスト・シューティング(ごみ投げ場)の前にダンボールを置いて、
そのダンボールにごみがたまると、ダスト・シューティングからまとめて投げ捨てる。
なぜそのつどごみを捨てずに、ダンボールにいっぱい貯めてから投げるのか良く分からない。
健太たちの台所にその共有スペースは隣接しているので何時も臭気が漂って迷惑だった。

 有る日雨が強く降って、その共有スペースにその雨が吹き込んだ。
案の定、先生の置いてあったダンボールとその中のごみがグショグショになった。
雨でぬれたダンボールは持ち上げると底が抜けるし、中身がグスグスになって出てくる。
さすがに先生それからその変な癖はやめたようで、
今はそこにダンボールの箱は置いていない。
我が家の台所周辺の臭気もなくなって、めでたしめでたし!

 しかし先生、大学で日本史を教えてるって言うけど、
一体どのくらい知っているんだろう?
どこまで詳しいか何とか試してやろうと思う、意地悪健太の頭がもたげてきた。
有る日健太は帰宅する先生と駐車場で会ったのを良いことに、
早速質問をした。
「先生は日本史をハワイ大学で教えてらっしゃるそうですが?」
「ははは、まあそう言う事ですが、、」
「先生は日本史の中のどこに一番興味をお持ちですか?」
健太と先生、パーキングからエレベーターへ歩いてゆく。
「そうですねえ、私が好きなのは古代と中世でしょうかね、、」
「なるほど、縄文、弥生、、、あの時代ですか?」
「そうですね、、まあ中世か戦国時代の方がやっぱり興味があるかなあ、、、」
「明智光秀が本能寺で信長を討ちますが、あれをどう解釈なさいますか?」
エレベータに乗る2人。
「そうね、あれは日本人でなければなかなか理解できない問題で、、。ま、権力者にはあまり興味がないんで、、、(汗)。やっぱり江戸時代が面白いかも知れませんね、、、」
「吉宗は名将軍と言われていましたが、
一体何が彼をそう言わしめたのでしょうか?」
「吉宗は良く勉強していましたね。サツマイモを取り入れたのも彼でしょ?」
「良くご存知!天一坊は本当に吉宗の子だったんでしょうか?それと葵慎吾は実在の人物なんですか?」
エレベーターは上がってゆく。
「め、明治時代も面白いじゃないですか、健太さん!」
エレベータが我々のフロアで止まった。
「健太さん面白かったです。またお話しましょう!」
先生はさっさと自分のユニットのドアの中に消えていった。


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September 28, 2006

ハワイの歴史もちょっと、、

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 ハワイに住んでいてハワイの歴史を知らずに過ごすのはどうかと思う。特に日本人であるからにはあの真珠湾攻撃を無視できない。
健太はそのことについて人一倍興味があって、過去においてかなりの文献を読み漁った。
今こうして我々日本人が世界に胸を張って生きていられるのも、あの第二次世界大戦の戦火に散った数多くの尊い命があればこそ。
小泉さんじゃないけど、その思いは戦争を奨励するのではなくむしろそれに真っ向から反対する姿勢に他ならない。

 ハワイ時間1941年12月7日午前7時50分。
日本軍航空隊第一隊183機がパールハーバーを奇襲した。
いや、日本は奇襲したと信じていたし、それを誰も疑うものはなかった。
しかし戦争が終って何年か経つにつれそれは奇襲でもなんでもなかった事が判明したのだ。
つまりアメリカ軍は当時日本軍の無線のほぼ全てを傍受していて、真珠湾が攻撃される事を事前に知っていたのさ。

 事が起きる時にはその原因がどこかに必ずある。
一体日本は何故あんな無謀な戦争を起こしてしまったんだろうか、、。
当時の海軍大将山本五十六がこの真珠湾攻撃の発案者だ言われるが、元来彼は日米開戦に真っ向から反対していた。
何故ならば彼は過去にアメリカに赴き、その経済力などその国力に熟知していたからだ。
しかし何故その彼があの太平洋戦争の指揮を取ったのか、、。

 太平洋戦争開戦の理由は、アメリカが日本に突きつけた「ハル・ノート」(主な内容は帝国主義から脱却せよ)にあると言われる節もあるようだが、実はそれ以前から既に原因は蓄積されていた。ハル・ノートは単にその引き金だったに過ぎない。
1930年代アメリカにおいて「イエロー・バッシング(何か特別の用語があったような気がするけど思い出せません、、、汗)」が盛んにアメリカ新聞紙上をにぎわしていた。つまり白人たちが日系人を人種差別し始めたのさ。もちろん日本の帝国主義にも問題はあったかも知れない。
しかしそれはそのまま、アメリカが日本に対して何事にも辛く当たることに繋がった。
「日本にはオイルを売るな!」
明治開国以来ますます国力をつける日本に、彼らは脅威と嫉妬の目を向け、日本のそれ以上の発展を阻止しようとしたのだ。
そして決定打はそのハル・ノート。
当時の日本人にはまだ「侍気質」が残っていて、そうした姿勢を崩さないアメリカ、イギリス、フランスを許す事はできなかった。
さらに当時極端なオイル不足に行き先不安を持っていた非産油国・日本は、自国の生きる道をどこかに求めなければならなかった。

 一方、山本五十六は何かにつけアメリカやイギリス、フランスに「たて」を突く日本国家の方針に一々反対した。彼にはしっかり世界情勢が見えていたからだ。
そうした彼の態度は、当時の国家上層部に「この腑抜け者が!」と冷たい視線を向けられた。
しかし彼もそうした侍達に馬鹿にされたままではいられない。つまり彼も侍だったのだ。

 「この戦い、一年くらいは暴れまわれますよ、、、」
これが彼の連合艦隊司令長官に任命された時の一言だった。
しかし、これは既に彼が死を覚悟していた言葉だとはこの時点で誰も理解していなかった。

 その後山本五十六はその言葉通り、太平洋で思う存分暴れまわった挙句、1943年(昭和18年)4月18日、前線視察のため訪れていたブーゲンビル島上空で、乗機一式陸上攻撃機をアメリカ陸軍航空隊p-38戦闘機に撃墜され戦死した。
享年59歳。
この太平洋戦争はそのまま、「国家を」「日本人という人種を」辱められた侍たちの矜持の戦いだったと言えるだろう、、。

 写真は今日の午後のアラモアナビーチ。何時もと反対方向真珠湾方向に向けて撮ってみた。この素晴らしい景色のハワイ、45年前の12月7日この向うの山々の辺りには、真珠湾攻撃の煙がもうもうと上がっていたとい言う、、、。


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May 28, 2006

カメハメハ大王のケープ

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 ハワイも完全に夏モードに入ったようだ!
毎日がぐんと蒸し暑くなっている。
こんなとき気をつけないと風邪をひいてしまう。
健太も今日はなんとなく鼻がぐすぐすしてる、、。
ハワイと言えども10月から4月ぐらいまでは、ちゃんと毛布なり掛け布団がないと寒いんだ。
既にもう5月。「そんなものはいらない!」なんて片付けちゃうと、こうして鼻が、、。

 でもハワイの原住民たちは昔、毛布や掛け布団なんてなかったんだからよっぽど寒かったに違いない。
第一住居も単なる枝葉の寄せ集め、、、
おまけに最近は地球も温暖化が進んでるという。
だから当時はもっと寒かったはずだ。
カメハメハ大王、色んな書物に出てくる彼は、鳥の羽のケープを纏っている。
でも一般人はとてもそんな贅沢は出来る訳もなく、病気にかかりやすくて平均寿命は30歳そそこだったと聞く。

 さて、カメハメハ大王は1758年頃ハワイ島コハラ・ココイキにアリイ(酋長)の子として生まれた。
幼少よりその武技のセンスは抜群で他を寄せ付けず、見る見る間に頭角を現してハワイ島の王となる。
ハワイ島を統一した後マウイ島を攻めるが、マウイ島のアリイ・カヘキリの息子カラニクプレはその軍勢のすさまじさに戦わずして軍門に下った。
彼の当時の軍勢は1万6千人とも1万8千人とも言われ、彼の戦闘カヌーは4マイルものビーチを埋め尽くしたそうだ。
また16人の白人顧問も従えて、当時まだまだ貴重だった銃も携えていた。
更にオアフ島を攻撃。カラニプクレ王軍をヌアヌパリの断崖に追い詰めて、決定的大勝利を収めたのはあまりにも有名な話。
その後カメハメハ大王は、なんと80歳位まで生きた(位いというのは生まれた年がはっきり分っていない)。
もちろんあらゆる面で恵まれていた事も有るけど、当時としてはめちゃ長寿だよね!

 なんて今日は書く事に悩んだ挙句、こんなんなっちました(笑)!


 

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May 22, 2006

ハワイの伝説

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 ハワイの珊瑚礁はとても綺麗だよね!
海の色をパステルカラー、シャーペット・トーンに変えてくれる。
そんな海をじっと見ていると心が癒されるばかりか、いつの間にか見果てぬ夢の世界へといざなってくれる、、。

 ハワイには沢山の伝説がある。
かつて健太は物書きになろうと思った頃が有って、その時にそのハワイの伝説を少しかじった。
 
 ハワイ人はその昔、多分5世紀頃、イースター島、ニュージーランド、マーカス諸島辺りの者たちが島から島へと徐々に移住してきたんだ。
その移住の動機は明らかじゃないけど、カタマランと呼ばれる双胴カヌーに乗って、昼は太陽、雲、潮の流れに導かれて、夜は星を見ながらひたすらこのハワイ諸島へ向って漕ぎ続けられた。
カタマランには草葺の小屋を乗せ豚や鶏なども同乗していたようだ。
彼らは200あまりの星の名前を知っていて、その位置が季節の変わり目に変化する事すら知っていた、実に航海術に長けていた者たちと言われる。
そして鳥たちを見ては島に近着いた事を知った。

 初めてハワイに降り立った彼らは「アリイ」と呼ばれ、ハワイ人の先祖にあたる。
このほか、「ハワイ・ロア酋長」がハワイの発見者だと言う説もある。
ハワイ・ロアはアラビアの北、インド「カヒキク」の有名な漁師で航海者だった。
ペルシャ湾から出航した彼は東へ航海を続け、
発見した島を「ハワイ」と名ずけ、その次に発見した島を彼の息子の名前である「マウイ」と呼んだ。

 しかしどう考えてもこの「ハワイ・ロア」の説は不自然で、彼が航海したのはインド洋あたりで、発見した島々も「スマトラ島」や「ジャワ島」だろうと言う説が定着している。
つまり、もし彼が「ハワイ、マウイ」両島を発見したなら、そのほかの島々も同時に発見していなければおかしい。
そんなことから残っていた伝説は多分その、「ハワイ・ロア酋長」の話と他の者たちの話が混同されていると言う考え方が自然のようだ。

 始めてこの島に来たと言うアリイ達、また、「ハワイ・ロア酋長」となぞらえた彼らは、一体どんな思いでこのハワイの島々をみたんだろうか、、、。
そんな昔話を知っていて見るハワイの景色は、またひとしおだよね(笑)!

 写真上はホノルル空港のリーフ・ランウエーから。
下は今日の夕方の静かなアラワイ運河。この青空、見てくれ!写真で悪いけど、この空を見ながら大きく胸いっぱい息を吸ってみようか(笑)!

 余談だけど、ハワイの伝説のかなに彼らが住む家を「パリ・ウイ」と呼んでいることがある。
「パリ・ウイ」=青い山。
中央に見える「アイランド・コロニー」はその「パリ・ウイ」に因んで青い屋根をつけたのかなあ、、、?

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November 18, 2004

快晴・ダウンタウンと古いビル

 大変だ!ロクアウットしちゃった。
アラモアナホテルのレストランにお客さんを連れってたのは良いけど、鍵を車ん中に置いたまま閉めちゃった。
合鍵はとんまが持ってるけど彼女の車も修理に出しているので鍵を届けてもらえない。おまけに今日彼女は医者に行ってる。
いや実はこの前とんまが追突されちゃってさ、軽い鞭打ちになってるんだ。車は壊れるし鞭打ちになるし。挙句の果てが健太はロックアウト。
悪い時には悪いことが重なるものさ。

 おかげで予定が大幅に狂っちゃった。
やっとの思いでタクシーに乗ってうちまで帰って合鍵を取ってきた。

 午後はダウンタウンの銀行で今回の日本営業で残った円をドルに変えなきゃいけない。何とか銀行閉店前には滑り込みセーフ。
ハワイを出る時の円レートは$1=¥109.35。今朝のニュースでは $1=103.15。ってことは、$1につき6.20円も儲かったことになる。
だが待てよ?銀行の看板には、ドルから円には 「$1=103.15」、円からドルには 「$¥109.25」、、、!なんだ、ちっとももうかって無いじゃん。
つまり銀行は円を安く買って、ドルを高く売って利ざやを得てるんだ。
がっかりしてダウンタウンをドライブしていたら、今までシリーズで撮ってきた例の古いビルがあるはあるは。抜け目なく健太は車を止めて、パシャリ、パシャリ。

 写真は昔の日系紙「日布時事社」本社ビル。下はその日布時事社が1934年に発行した、健太のお爺ちゃんがおばあちゃんにお土産で買ってきた写真集。時代を感じさせないかわいいデイザインだね!

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November 14, 2004

ハワイの乗り物

 ハワイでの足はマイカー、または市バス。
でも市バスも今や$2と、あまり安いとはいえない。
車さえあればその往復料金の$4もあれば相当なの距離を走れそうだ。
うちは共働きなので車は2台必要。最近ガソリンが値上がりしているばかりか、あらゆる経費も値上がりしている。保険代、レジストレーション、そのほかメインテナンスなんか、出費がかさむ一方さ。いや~、ハワイの生活もますます厳しくなってきてるね、、、。

 今日はエバビレッジ10時12分のテイー・タイムでゴルフの予約を入れてあったので、今日こそワンラウンドやれる(先週はハーフのみ)、、、と思って行ったけど、な~んだまた雨が降って来た。とても止みそうもない。
残念だけどゴルフは諦めざるを得ない。ってなわけで、仕方なく買い物にスケジュール変更しました。

 エバビレッジから10分ほど車で行くとパールリッジ・ショッピングセンターがある。
このショッピングセンターには殆ど日本人観光客は来ない。それだけにあまり高価なものはないけど、生活に密接した気楽なショッピングが楽しめる。
健太はミュージックストアへ。そこにはビンテージギターがをいっぱい置いてある(置いてあるだけで売ってはくれない。けち!)。
とんまは来月結婚する甥っ子の式に出る時の服を探してた。
パールリッジ・ショッピングセンターは二つの大きなビルからなっていて、他のビルへの移動はモノレールでするんだ。
このモノレールはハワイでは一番新しい乗り物、ではあるけど、既にこれが出来て25年は経ってるね。

 そんな訳で今日は、「ハワイの乗り物、あれこれ」を紹介したい。ハワイにも昔は路面電車が走ってたって前に書いたけど、実はワイキキにもその電車は走ってたんだね。
写真上がパールリッジ・ショッピングセンターのモノレール。下は1901年頃の、ワイキキ・カラカウア通りを走っていた路面電車。

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